ばななの木

都内の大学生、進学を機に上京。エッセイが書きたいお年頃。

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きみのルーツはなんですか?

 この前の春休み、『ちょっと思い出しただけ』という映画を観た。構成は単純で、元カレの誕生日の1日を、1年ずつ遡っていくというもの。映画の最初のシーン(つまり、時間軸としては最も進んでいる)は、別れた2人がタクシーの中で会話をする場面だ。映画が進むにつれて、2人の過去が明らかになると同時に、初めのシーンの2人の会話の意味を知る。それによって、観客はみな口を揃えて「エモい」と言った。ここには一つの重要な法則がある。それは、人はルーツを知ることに惹かれるということだ。「時間を遡ると

    • 槍を担ぐ人

       夏の暑さに辟易とするこの時期、大学生はレポートにも追われるので二重苦です。前期もまとめの時期ですが、今年は、西洋美術史を勉強しています。美術史Aという科目名で、古代ギリシア・ローマ美術からルネサンス期までの西洋美術を概観します。90分間の講義はオンデマンド形式で、パワポや動画で作品を観ながら教授が解説してくれる授業です。この授業が、西洋美術にはまるきっかけでした。  どのくらいはまっているかと言うと、聖書の有名なエピソードや、特定の人物がもっているアトリビュート(日本的な

      • この春、ちょっと得した気分

         新年度、あけましておめでとうございます。去年もおととしもコロナで宴会みたいなお花見ができずにいて、解禁されたお花見を今年こそはと意気込んでいましたが、忙しさにかまけているうちにもう桜が散り始めています。  お花見で春を感じられなかった私ですが、太陽の光で少しあたたたくなった洗濯物を取り込むとき、春をしみじみと感じます。  そして、今日から大学4年生になりました。もう1年しかないと危機感を感じる春は、浪人生活がはじまったころ以来のことです。  でも、この春はちょっと得し

        • 自分を自分たらしめるもの

           「経験は財産」「苦労は買ってでもしろ」とはよく言ったものだ。学校の先生や、親戚のおじさんがお説教で言及する経験や苦労は、人に自慢できるようなそれのことだろうか。長期の留学経験とか、リーダーを務めた経験とか。私はずっとそれを、カギカッコつきの「経験」のことだと思っていた。つまり、人生の教訓を得たり、学びにつながったような「経験」。    でも当然、誰もがそうした輝かしい経歴をもちあわせているわけではない。自分もそのひとりだ。面接で「学生時代に頑張ったこと」を問われたならば、そ

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        きみのルーツはなんですか?

          「結果よりも過程」は、自由の中でこそ

           大学3年の夏もまもなく終わる。そう考えると、来年は学生最後の夏だという一抹の不安が頭を過る。しかし、そんな不安よりも先に思い浮かぶのは、内定がもらえるかということである。そう、私は今、就職活動中である。  まだまだ数多の業種の中から企業を探す段階にいる自分は、やりたい仕事か、やれる仕事か、働き甲斐か、働きやすさか、東京で働くのか、地元に帰るのか、と決めきれないことばかりである。せめて実家が東京だったら、地元に帰るという選択肢がなくなって、不安要素の一つくらい減るのになと、

          「結果よりも過程」は、自由の中でこそ

          イメージは超えられないのさ

           中学生になれば部活で大活躍し、高校生になれば彼女と仙台までデートに行こう。大学生になったらサークルに入り、授業はさぼって酔いにまかせてあの子と付き合おう。誰だって将来は明るくあってほしい。そのイメージばかりが先行し、いつの間にか「妄想」の域に達してしまう。  でも、大学生のイメージが大学生によって語られることはない。彼らは現実世界でまさにこの瞬間、それぞれの大学生活を送っているから。イメージはいつも第三者が語る。かつて大学生だった大人が、メディアが、ませた小学生が。やはり

          イメージは超えられないのさ

          人には人の乳酸菌

           多様性は種の保存に役立った。とすれば、私たちが多様性を称揚するのは、人類という種の保存のためということになるだろうか。他人が、あるいは自分が淘汰されても人類は生き延びる。このことに意味を見出しうる人間は今どれくらいいるのだろう。ウイルスは常に変異を繰り返す。そして生き残った「強い」ウイルスが世界中に蔓延する。まさに昨今のコロナウイルスの様子と重なる。しかし、現実はそうなってはいない。現代人が多様性を考えるとき、それはむしろ個の保存のためと言ってよいかもしれない。  だとす

          人には人の乳酸菌

          同じ釜の飯を食おう

           誕生日のお祝いと合格祝い。人生には2種類のパーティがあるらしい。前者はその存在を無条件に肯定することを意味し、後者は成果やそのための努力を称賛するのだそう。私の大学の教授が一冊の本の中でそう論じていた。読んだときにはなるほどと思った。たしかに分類しようと思えばそうなるのだろう。でも、自分が友人を集まりに誘うとき、そのパーティとやらはどうも容易には二分できぬような気がするのである。  例えば、内定祝い。いや、これはすぐに先述の後者に分類されそうなものである。しかし、最近、私

          同じ釜の飯を食おう

          高校近くのラーメン屋で

           自分は一人で生きていける。俺は誰の手を借りなくても大丈夫。こうした全能感が身体中を駆け巡る時期は誰にでもある。多くの人は思春期に。でも、そんなときに限って、学校の先生や親は「そんなのひとりよがりだ」と口を揃えて言う。全くその通りである。  「自由」という観念がすでに行き届いた世界に生まれ落ちた現代の私たちにとって、「自由」とは享受するものであってもはや獲得するものではない。15歳にも満たぬ者が「自由」というその言葉から思考を始めれば、行き着く先はほとんど「なにをしてもいい

          高校近くのラーメン屋で

          生きる資格はどこにある?

           「次のテストで100点をとったら、おもちゃ買ってあげるよ」なんて言われる。どこにでもある家庭のセリフだ。自分もそう言われたことは何度もあったし、それが頑張る動機になっていた。しかし、この構造は幼少期に限らず、意外と今でも身近なようだ。  「この資格を持っているなら、うちで採用するよ」というセリフ、あるいは求人票の資格欄。必要なのは資格であって、自分ではない。これは一般に代替可能性と言われる。取って代われるということだ。生まれてからずっと、こうした「条件」がかたちを変えなが

          生きる資格はどこにある?

          ないものねだり

           大学進学を機に上京した。地方で生活を送る高校生は、いつも家を出たがっている。家から離れることが、何よりも「自由」だと感じるのだ。あるいは、自分はもう一人暮らしをできるくらいに大人になっていると行動で示したいのかもしれない。はたまた、東京のネオンに魅了されているだけかもしれない。いずれにせよ、都会への憧憬は強い。しかし、一人暮らしを始めた人なら誰にでもわかるように、ふと寂しい夜が訪れることがある。そんなとき、たいして仲良くもない人と飲みに出かけても解決に至らないことは明白であ

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          大学レポート考再び

           手紙、電報、ポケベル、メール、ノート、Word、LINE…。人は文字を発明してからというもの、時代を問わずずっと書き続けてきた。そして、書くという営みには常に宛て先があった。今日会う約束の友達に、同僚に、家族に、さらには愛する誰かのために。書くことは、だからコミュニケーションの一形態である。日記でさえ、過去の自分、あるいは未来の自分とのコミュニケーションである。だからなのだろうか、最近よく見かけるようになった、イヤホンをつけて歩きながら話す人、傍目から見るとちょっと不気味で

          大学レポート考再び

          愛とは、フライパンを洗うことである。

           家に友達を呼ぶことがよくある。そんなときは、だいたいみんなで鍋を囲むのだが、一人で食べるときよりも圧倒的に洗い物が多い。だから最近は洗い物を少なくするために、割り箸と紙コップを常備している。そんな私の最も嫌いな家事は皿洗いである。実家のキッチンのように、シンクも大きくて、洗い終えたものを置く場所が広ければいいのだが、一人暮らしではそうも行くまい。かくして、私はちびちびとお皿を洗うことになるのである。  先日、家で手巻き寿司パーティーをした際に、焼き鳥を振る舞った。フライパ

          愛とは、フライパンを洗うことである。

          合理的思考の結果するところ

           寒い冬を乗り越え、今年の春もまた大学受験生が学生へと身分を更新した。多くの新入生たちが意気揚々と正門をくぐり抜け、キャンパスライフへの扉をたたく。見ているこちらも初心を思い出す。そして、私もまた一つ学年を重ねてしまった。今年は、就活、インターン、卒論に向けた準備などに追われるのだろうか。案外、新入生にも負けないくらいの不安と悩みがある。  さて、首都圏の富裕層を中心に、早期教育がかなり普及している。かけ算九九は幼稚園のうちに、習い事はピアノからそろばんまでなるべく多く、週

          合理的思考の結果するところ

          「考える」ことを初めて考えた日

           近年の哲学ブームは『嫌われる勇気』が出版されたあたりからずっと続いている。『嫌われる勇気』は2016年の出版だから、もう6年近く続いていることになる。ビジネスマンが読むような雑誌でも哲学の特集が組まれたり、哲学の入門書のようなものもたくさん出ている。単なるブームにしては長い方だと思う。タピオカは3年ももたなかった。私が、哲学に興味を持ち始めたのは高校2年生のころだ。おそらく2017年。ちょうどブームに乗ったようなミーハー者である。もちろん、当時はそんなことを意識しているはず

          「考える」ことを初めて考えた日

          ボランティアに「欠勤」はない

           つい先日のこと、学生のボランティア支援という名目で行われたセミナーに参加した。学生と複数のボランティア団体がディスカッションを通して、その魅力を知ることで、ボランティアへの参加を促すという内容だった。オンラインでの開催だったから家に居たが、始まるまではなんともやる気がでなかった。自分で申し込んだはずなのに。  そんな気の進まないセミナーのためにわざわざパソコンを用意して椅子に座った甲斐があったと今では思っている。一つだけ新しい発見があった。ボランティアに向けられる批判とい

          ボランティアに「欠勤」はない