自分でできる心理療法「フォーカシング」について

前回、「フォーカシング」という心理療法について書きましたが、具体的なやり方がちょっと分かりにくいかなと思ったので、いくつかの本を参考にしながら、フォーカシングについてもう少し詳しく書いてみます。

「フォーカシング」は、トラウマに苦しんでいる人も、そうでなくても、自分をリラックスさせて、いたわることができる方法です。カウンセリングやセラピーに行かなくても、自分ひとりでもできる心理療法です。

私は15年ほど前に、フォーカシングの体験クラスを受講したことがあったのですが、その時は、参加者が20人位いて、皆さん口々に何かを感じた、と話していたのですが、私は一人で「何も感じられなかった」のです。
だからフォーカシングは、自分には合わないんじゃないかと思ったし、精神分析に比べてはっきりしない、意味があるのか分からない世界だとずっと思っていました。

ですが、去年、カウンセリングの先生(SEのセラピストではなく、普通のカウンセラー)が、「フォーカシングは、真剣にやると、奥深い世界だ」と言っているのを聞いて、もう一度、フォーカシングの本を読み返しながら、自分の身体と真剣に向き合ってみました。
すると確かに、身体の中に色々な小さな感覚があることに気付きました。
それは本当に多彩で、次々に出てくる感覚で(トラウマがある人は特にそうだとセラピストが言っていました)、そしてその変化を観察していると、終わりがない、と感じるものでした。

前回も書きましたが、複雑性トラウマのある人は、ただ、自分の身体のかすかな感覚(フェルトセンス)を見つけて、それと共にいる、ということを心がけてみると良いと思います。その時に「この感覚は〇〇の出来事をあらわしている」というように意味づけしないように、その点に気を付けて頂けたらと思います。

私は、複雑性トラウマがあるので、その感覚(フェルトセンス)を意味づけしたり、これは何を表しているのだろう?と考えることは避けていますが、自分の身体のかすかな感覚(フェルトセンス)を見つけられる、感じられる、というところが一番のポイントだと思うので、皆さんも、その感覚に出会えるといいなと思います。

フェルトセンスと友だちになること
フォーカシングとは、自分自身の内的な体験と友だちになるようなものだと思ってください。本当の友情のために大切な要素としては、認めること、許すこと、忍耐すること、好奇心を持つこと、尊重すること、暖かい気持を持つこと、歓迎すること、共感すること、思いやりをかけること、愛することなどが考えられます。自分自身のことをそんなに大切な友だちだとすぐには思えないかもしれませんが、心配しなくても大丈夫です。あなたは、友情を一歩一歩、少しずつ作りあげていくことができます。

アン・ワイザー コーネル『やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方』(p.40)

新しい洞察が起こるにせよ起こらないにせよ、大事なのは、あなたがフェルトセンスに触れられることです。私たちは皆それぞれ違います。それをよく覚えておいてください。すぐにフェルトセンスが見つかり、ああこれはおなじみの場所だと感じる人もいます。しかし、ずいぶん時間がかかる人もいます。何度も試さないとフェルトセンスが見つからない人もいるのです。(略)
友好的な注意を向けて、内側を感じる練習をただ続けてください。そのうち、自然にわかってきます。

デヴィッド・I. ローム『マインドフル・フォーカシング:身体は答えを知っている』(p.35-36)

アン・ワイザー・コーネルは、フォーカシングを妨げるものとして、「それを批判すること」「それを疑うこと」「それを過小評価すること」「それを押しつけること」「それを急がせること」「それを怖がること」「それを直すこと」「それに選択を強いること」の8つの要素を上げている。

内田 利広『フォーカシング指向心理療法の基礎』(p.152)

『やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方』に記載されているフォーカシングのやり方を引用します。
トラウマのある人に参考にして頂きたい部分を太字にします。

フォーカシングは、からだの内側、とくに喉、胸、胃、下腹のあたりに注意を向けることから始めます。

感じを無理に見つけようとしたり、何かを引き起こすようなことはしません。「今、自分の注意を求めているものがあるかな」というように、やさしい気持ちで、自由に答えられる形の質問をして、何か感じが出てくるよう誘ってみます。

ある感じにはじめて気づいた時には、それに「こんにちは」と、心の中で挨拶をして、その感じがそこにあるということを確かめ、それから、それを描写したり名前を付けます。

フォーカシングの次の段階では、その感じのことをもっとよくわかろうとして、「これは何だろう」というような好奇心を持った態度で腰を下ろして、それと一緒にいるようにします。

その感じから何かもっと意味が伝わってくるのをゆっくりと待ちます。何か感情を表すような言葉が出てくることが多いのですが、その言葉とこの感じがぴったりかどうかを確かめます。

急がないでゆっくりやっていきます。からだの内側にプレッシャーのない、ゆったりした雰囲気を作って、ただそこにある感じと一緒にいます。その感じが何かもっと伝えてくれるといいなぁと誘うようにやさしく問いかけます。

フォーカシングでは、変化は一歩ずつ、(普通は)小さな気づきという形で積み重なっていきます。一歩ごとに、それでいいのだと納得できる感じになって、からだの内側に何か以前と違う感じがしてきます。そのように一段落したところで、フォーカシングをやめて、また別の機会に続きをやることもできますし、そのままやり続けることもできます。続ける場合には、やさしい態度で別の問いかけをしてみるといいでしょう。

からだに宿されている意味は、時には、信念や態度、まだかなっていない要求、自分自身のまだ見えていない部分などと関係していることがあります。何もその問題を「直したり」「解決しよう」とする必要はありません。そのメッセージに気づくこと、それをここから聴いてあげること、それだけで、深い解放感がもたらされるのです。

フォーカシングは、ゆっくりと、その時の気持ちを十分尊重して終わりにします。終わる前にしばらく快い感じのままでいたい場合もあります。自分のからだに感謝して、また戻ってくることを伝えます。

日常生活の場面で、フォーカシングのセッションで体験した感じが戻ってくることがあります。「ミニ・フォーカシング」というか、フォーカシングを日常生活の中でほんの少しやってみるよい機会になります。

アン・ワイザー コーネル『やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方』第2章フォーカシングのプロセス (p.25-32、抜粋)

フェルトセンスについて
フェルトセンスは、その人が身体の感覚として感じる、何とも表現しがたい「ざわざわする感じ」や「もやもやする感じ」のことである。このような感覚は、何か感じてはいるが、「うまく言えない‥‥」というような、なかなか言葉で表現したり、うまく伝えたりできないような感覚である。

このフェルトセンスは、すぐには言葉にできないが、何かありそうであり、身体的な感覚として感じられるものであり、イメージと関連して感じられる場合もあるし、感情を伴って強い情動として出てくる場合もある。また具体的なエピソードを語る中で感じられる場合もあるだろう。

そのフェルトセンスは、どこにあり、どうやったら見つかるのか。フェルトセンスは、すでに皆さんの身体の中にあり、これまでもあり続けてきたし、今もあると考えられる。

内田 利広『フォーカシング指向心理療法の基礎』(p.15-16)

大切なのは、クライエントの感じたフェルトセンスを言葉にするのは、あくまでもクライエント自身であり、セラピストではないということだ。これはとても大切であり、セラピストが「今、あなたの中にある、そのもやもやした感じを表現するとしたら、どのように言えるでしょうか」と尋ねることはあっても、その体験から言葉を紡ぎだし、それを今ここで口にするかを決めるのは、クライエント自身である。したがって、今はまだそれをうまく表現できる言葉が見つからない、あるいは言葉にできないということであれば、それは大切なクライエントの感覚なので、それも尊重する必要がある。

内田 利広『フォーカシング指向心理療法の基礎』(p.149)

フォーカシングという方法を身に付けていれば、セラピストの援助が必要な段階から、あなた自身が自分を支える中心人物になる段階に移る時に役立ちます。からだの感じに気づいて、その感じが伝えるメッセージに耳を傾けることができるのは一生の宝です。あなたの人生がこれからどんな変遷をたどろうとも、あなたとともにいて支えてくれる力になります。

アン・ワイザー コーネル『やさしいフォーカシング―自分でできるこころの処方』自分自身のセラピストになること(p.207)

色々な説明を書きましたが、トラウマ治療(SE)でのポイントは、「自分の身体の中のかすかな感覚に気付く」「その感覚と共にいて、観察する」ことです。
ですので、その感覚がつかめたら、少しずつ癒しにつながっていくと思います。