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いまは嫌いでも、 いつか好きになることがあるかもしれない。

こんにちは、ウィトゲンシュタインズのふらーです。

今回は、

わたしがまだ、小学生だった時の
お話をさせてください。


音楽の授業が、嫌いだった

わたしは
音楽の授業が苦手で、嫌いでした。

リコーダーの教本を手渡され、
「期日までに、このページまで吹けるようにならないと、成績はつきませんよー」

と先生に言われました。

途中までは順調だったけど、
とあるページでどうしてもつまずき、
なかなか上達しない。

締切間近にせまっても、
吹けるようにはどうしてもならない。

ついには、

危機的状況であることが
親にばれて

泣きながら、親の目の前で
できるまで繰り返し吹かされた

そんなこともありました。

図画工作の授業が、嫌いだった

図画工作の授業も、苦手で、嫌いでした。

写生会という
1日かけて目の前の景色を写生する学校行事。

一体これは何の刑罰だろうかと言わんばかりの

わたしにとっては嫌な行事でした。

「母のお弁当が食べられる、数少ない日」
それだけが唯一の救いでした。


もうひとつ。

「オリジナルカレンダーをつくろう」

そういう授業がありました。

せっかくなら、ずっと使えるカレンダーをつくりたい。
自分なりの万年カレンダーをつくろうと
試行錯誤してつくりました。

しかし、
不器用の神の加護を受けていたわたしの作品は、

おおよそキレイとは言えないものでした。

ただ、発想は誰にも負けてない。

みんなは年間や月間カレンダーをつくっている。

アイデア賞はもらった!

そんな気持ちでした。


当然、アイデア賞などというものはあるわけがなく、
成績は芳しくなかった。


どう考えてつくったのか
何を思ってつくったのか
そんなものは評価されなくて、


結局、見た目がキレイなものしか
評価されないんだ。


不器用の神の加護を受けていたわたしにとって

図画工作の授業は、
道化としてさらされているような

そう感じる時間でしかありませんでした。

それでも、好きになれた


いろいろありましたが
音楽が嫌いだったわたしは、


・高校で吹奏楽部に入り
・フルートが吹けるようになり
・大学でちょっとした楽曲アレンジをやり
・今は趣味で作曲をしています。
・ピアノの練習も始めました。

今では、

音楽なしでは生きていけない

それくらい大切な存在になりました。


図画工作も、

あいかわらず、不器用の神はご加護を与えてくださっていますが、

・ちょっとしたバナーのデザインにチャレンジしたり
・アイコンをつくってみたり
・写真を撮ってみたり
・動画をつくってみたり

形は少し変わっても、
何かをカタチにする。

そうやって、趣味として楽しんでいます。


誰もが、表現することをためらわない社会にしたい


わたしは先日、こんな記事を書きました。

図画工作や音楽といった、学校の授業は、

どうしても、成績をつけなければいけない。

だからこそ、見える部分で評価しなければ
授業として成立しない。

それは仕方のないことだと思います。

だけど、本質はそうじゃない。


誰もが、本当は、「表現の円周率」を持っている


わたしはそう思います。


どこまでいってもゴールはない。

どこまでいっても正解はない。

だけど、その人にしか描けない。


そんな、表現の円周率を
誰もが描くことをためらわない。

そんな社会にしたいと思っています。


あのとき、
なかなか評価されなくて
嫌いだったわたしだからこそ、

自分の表現に、「いいね!」と言ってもらえる。

そういう場所、機会をつくっていきたい。

ぼんやりした理想ですが、

そんなことを、いまは思っています。

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