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言葉は借り物である

書かれている文章は、誰かの言葉。

誰かの頭の中で、作られた文章だ。

それは、お喋りとよく似ている。
会話をする時は、その人の頭の中にある知識と何かの情報や事実とを結び付けて、目の前の人に理解できるように話を試みる。

話に使われている言葉は、相手が理解できるものかどうかも、話すまで分からない。だから、リアクションをよく見ることで、ついてきてるかどうかが分かる。

一番楽なのは「定型文」だ。

朝起きた時に「おはよう」と挨拶し、
夜寝る時には「おやすみ」で締めくくる。

会社でも、帰る時の言葉は「お疲れ様です」だろう。
メールを締めくくる時には決まって「よろしくお願い致します」

決まっている言葉を決まっている状況で使うことは、非常に楽だ。何も考えなくていい。こういうと、自分は考えてモノを言っている!と反発したくなるが、そこはぐっとこらえて。
本当に何か考えて挨拶したり、お疲れ様ですと言っているだろうか?と自問自答してみてほしい。

「ただ、みんなそう言っているから」
という理由以外に、説明できるだろうか??

何が疲れているのか分からずに、何が早いのか分からずに。決まった言葉をルーティンのように使い続けている。

もちろん、他の言語にも定型文はある。
おはようはGood Morning(良い朝だね!)だろう。
世界中、その意味を考えたこともなく、使っている言葉は多い。

だから、言葉は借り物なのだ。
誰かが話している言葉を真似して、状況に合わせて使っている。

オリジナリティが出るのは、言葉のチョイスだけ。

「おはよう」を夜に使ったら、
もう夜だよ(笑)と笑いを誘う。

授業中に先生をお母さんと呼んでしまったら、天然だとウケル。

しかし、重要な場面で定型文しか使わなかったら、「この人は本心が見えない」と信用されないだろう。

言葉は誰かの言葉。
言葉は借り物。

だから、自分が使っている言葉に意識を向けることは、
自分を知るためであり、周囲への態度を内省することになるのだ。

借り物の言葉の蓄積で、自分が形成されていく。

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