福田恆存を勝手に体系化する。8 二葉亭四迷 芸術と実行
私小説的現実について
「内発的自己」と「外発的自己」にはとほうもない落差が存在することがわかっていただけたとおもう。
私は「内発的自己」である日本的なるものについて、あえて否定面ばかりを強調した。それは、福田恆存の言葉にあるように、「おもりを重くしなくては、翼は強くならぬ」からだ。
もちろん、「外発的自己」にも否定面はある。しかしそれは、実践ののちに明らかになることだ。とにかく「内発的自己」を「外発的自己」に噛み合わせる――それが、真の自己否定であり、日本文化のうちに決然と「没落する」ことである。
そういうわけで福田恆存は、右にのべた「外発的自己」を軸にパースペクティブを再設定し、ロレンスから学んだ二元論を方法論として、かれのまえにたちあらわれる対象と斬りむすんでゆくことをみずからに課した。
誤解してはいけない、それは「外部からの高飛車なものいひ」ではなく、内部から自己を否定し、「翼を強く」するための運動なのである。
それをすこし具体的にしめしてみようとおもう。
たとえば福田恆存は、二葉亭四迷について次のように書いている。
内田魯庵は『二葉亭四迷の一生』のなかで、「芸術となると二葉亭は此の国の国士的性格を離れ燕趙悲歌的傾向を忘れて、天下国家的構想には少しも興味を持たないで、矢張市井情事のデリケートな心理の葛藤を題目としてゐる」ことに首をひねっているが、ここにその解答がある。
当時さかんに、「芸術と実行」ということがいわれていた。二葉亭四迷はその主唱者といっていい。かれは、文学なんぞにうつつを抜かしていれば人間がダメになると主張した。「浮雲」一篇でセンセーショナルを起こした、あの二葉亭が、どうしてそんな文学を貶める発言を繰りかえすのか。――魯庵の疑問は当時の文壇を代表するものだった。
しかし二葉亭の判断は明快だ。ロシア自然主義文学を手本としていた二葉亭にとって、文学とははじめから「余計者」の――いや、もっとはっきりいえば敗者のものであるとおもわれていたのだ。それゆえ、いくらしゃかりきになっても、「芸術」において、国士としての「実行」を実現する手立てをみつけようがない。敗者であることが基礎条件となってしまえば、勝利と成果がもとめられる「実行」への道筋は最初から閉ざされているのである。
かれはツルゲーネフやアンドレーエフの背後にある強靭な自我の存在と隠喩の形式をとった自己主張を見てとることができなかったのである。
それゆえに二葉亭は、「外装であり方法であつたにすぎぬ自我の抑圧と喪失、社会的現実に対する敵視と絶縁」へと追いこまれ、「現実に対する作家の自我拡大とその意思的な闘争」を表現することはできなかったし、それ以前に、そういう文学概念自体が頭にうかばなかったのである。
ということは、さらに掘り下げていえば、かれは政治的・集団的な領野から、次元を異にする個人的自我に属する倫理と善悪の領野を識別することができず、それらは同じ平面上の問題として同列にあつかわれたということを意味している。
こころみに『浮雲』をひもといてみるといい。主人公・文三と本田昇、お勢の三角関係を描いているのだが、いってみれば、恋人のお勢が役所を首になった内海文三から本田という要領のいい処世術に長けた男にのりかえて、その経緯に文三が悩みもだえるというだけの話である。『浮雲』は未完のまま中断するが、その直前に二葉亭はこう書いている。
作者のプランがのこされていて、それによると結末は、お勢は本田に捨てられ身を持ち崩し、文三は発狂することになっている。その場合、本田は俗世間を代表する悪役、文三はけがれのない善人、悪に導かれてお勢は堕落するという構成が予想されるが、二葉亭はそれを放棄してしまったのである。
なぜならば、二葉亭自身がのべているように、文三は善人などではなく、お勢とおなじ「軽躁」なだけではないのかということに気づいてしまったからだ。
いかにロシア流の心理主義をもってしても、要領のいいことが悪とはいえぬし、不器用な弱さを善とよぶこともできない。それを悪と見、善と見誤ったのは文三の「軽躁」であり、それはまた二葉亭自身のものでもあった。そこに想到したのは、かれが真に誠実な作家、真摯な人間だったからである。
敗者であることを善とみなすのは、とりもなおさず、集団的・政治的なものさしで善悪をはかるということである。
文学と政治が同じ平面上にあると勘違いした二葉亭は、政治は文学に優先すると結論づけ、文学を棄てた。両天秤にかければ、「芸術」は「実行」に及ばないと、早々に結論づけたのである。
かれの観点に立てば、市井の綿々とした男女関係をあつかう「芸術」よりも、日本の将来を憂え、緊迫した国際関係を主題とする「実行」が優越するのは火をみるより明らかなことだった。
それらを別次元の価値と仮定しないかぎり、ヨーロッパの自然主義文学は成立しない。というより、文学そのものが無意味なものとなる。二葉亭を難じた内田魯庵も、ドストエフスキーの『罪と罰』を翻訳しながら、そこに描かれている倫理への情熱、あるいは神への切実な問いが、政治的価値に優先するものとして組み込まれていることの意味を理解しえなかったのである。
そこに「神をもたぬ日本人の宿命」がある。われわれの平板な世界観では、「実行」を「集団的自我」から生じるものであるとして相対化しうる立体的視点が存在しないのである。
藤村の『破戒』や花袋の『蒲団』にも同じことがいえる。いちいち具体的に解説するのは省くが、そこに告白されているのは、みずからの罪悪などではなく世間体への怖れにすぎない。あるいは、共同体の和を乱す「けがれ」であり「醜さ」という「国つ罪」なのだ。かれらにはたとえ村八分にあっても、自己の信ずるところを押し通そうする性格の強さはない。集団的・社会的ものから個人的・倫理的な問題を抽出することができず、その葛藤と苦悩はあいまいかつ低調だといえるだろう。
つまりかれらは、「外発的」文学にこよなく憧れていながらも、「内発的自己」に詰め腹を切らせることなく、両者はかれらの内部で別個に併存し、雑然と放置されていたのである。そしてそういう状態は現代にいたるまで温存され、日本人の基礎的な理念体系をなしていると福田恆存はみていた。
明治は希望と混乱にみちた時代だった。福田恆存は「独断的な、あまりに独断的な」や、その他の文学史的評論において、そうした混乱した時代背景のうちに、現代日本人の潜在的な理念体系の起源を基礎づけようしている。そしてそれは、「私小説的現実」という言葉に象徴されている。
重いおもり避けて、軽いおもりを選択したために、高く羽ばたくことはできなかった――福田恆存は、そういっているのだ。
それゆえかれらは、罪でもないものを罪と思いこんだのである。「芸術家」という特権的な地位にみずからを置くことで、社会的現実と真正面から対峙することを回避し、そのために本当の悪とぶつかりあうことはついになかったからである。
しかし、悪の蔓延した危険な場所にこそ、神はたちあらわれる。苛烈な悪が善を呼び覚ます。それが倫理の逆説的な性格なのだ。そうした解決不能の課題にまで行き着かなければ、文学はその本領を発揮することはできない。
二葉亭四迷や藤村たちを、われわれは嗤うことはできない。かれらの場合と同様、われわれの判断もまたきわめて平面的で、ともすると善か悪か、真か偽かというような二択にはしりがちである。いちいち実例をあげるまでもないだろう。
そうした平板な精神性の一例として福田恆存は幕末の志士たちのケースをだしている。
宣教師は尊王攘夷派に対するときと、文明開化派に対するときとで、それぞれ対応のちがいがあるにしても、まったく別人になったわけではない。視点の移動によって、対象の見え方が変化しただけなのだ。「天使と悪魔」はもともと同時存在しており、天使のかげには悪魔が、悪魔のかげには天使が共現前しているはずだ。それが了解できないのは、われわれのパースペクティブが両者を共現前させうる条件を欠いているからである。
福田恆存の啓蒙活動はすべて、こうしたパースペクティブの異常を知らしめ、共現前させうる条件の獲得をめざすものである。
福田恆存さんや、そのほかの私が尊敬してやまない人たちについて書いています。とても万人うけする記事ではありませんが、精魂かたむけて書いております。