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年賀状

季節外れだが年賀状が出てくる話を読んだ。

この方の文章はいつも面白い。
が、今回のわたしの駄文とたいした共通点はない。
ただ年賀状で思い出した昔話をする。

わたしは小学校を終えるとともに引っ越して、誰も知り合いのいない中学に入学した。
引越し先は文教都市を売り物にしていて、割と上品なイメージのところだったが、わたしの学校は例外的に評判が悪かった。
いわゆる教育困難校というほどではなかったが、何年か前にはずいぶん荒れていて、その残滓が根強いとの噂だったのである。

実際それまでの人生で見たこともない、引きずるほど長いスカートとか、やたらとタックが入ったズボンなどを初めて見て、純朴なわたしは、怖いところに来てしまったと震え上がったものだ。

さて、そんなわけだから教師の方にも、それなりの気負いがあったに違いない。
とくに技術科のA先生が別格で、授業が上手くて、生徒のあしらいも手慣れたものだったが、同時に絵に描いたような熱血派で、生徒をぐいぐい引っ張っていた。
今考えると、気を抜くと生徒が悪い方に流れるという危機感があったのだろう、みずからそう振舞っていたのか、とにかく芝居がかった言動が多かったようにも思う。
が、まぁ13歳の中学生から見れば、頼もしい存在であったことは間違いなかった。

しかしことクラス経営になると、A先生のやり方はいささか強引にすぎたようだ。
彼の率いる2組は、良くも悪くも周りから浮いたクラスになってしまっていた。
学級対抗の行事などに異常な情熱を傾けたが、いつもやり過ぎてかえって周囲をしらけさせた。
しかも側から見ていても、生徒が自分で盛り上がっているというよりは、彼のリーダーシップで走らせているように感じたものだから、あまり筋が良くなかったのである。

さて、ここでようやく年賀状の話だ。

正月明けだから3学期のことだった。
2組の教室の外に大きな掲示物が貼り出された。
どうやら組の独自企画として、このクラスでは構成員全部に年賀状を出すことを強制したらしい。
そして各々、受け取った年賀状から、一番よくできたものを持ち寄ってそれを掲示して鑑賞しようというのだ。

年賀状はどれも美しかった、まだパソコンどころかプリントゴッコすらなかった頃だ、みな丁寧な手描きであった。
なかなか見応えのある作品群だったのはよく覚えている。

ただ問題は、40数枚の葉書のほとんど全てが、Mさんという女子生徒の作品であったことだ。

それはそうだ。その子がクラスで一番上手くて、なおかつ本気を出していたのだから。
少し考えれば、そうなるのは当然の帰結なのだが、A先生はそこまで考えなかったらしい。
なのでしばらくの間、2組の廊下では模造紙3枚分のMさんの個展が開かれていたのである。

何だかなぁと思った。

この先生がその後どうなったか、あるいはここのクラスの生徒たちが彼をどう思っていたのか、翌年新設の中学へ学区移動になってしまって、またまた転校の憂き目にあった自分には、よくわからないままになった。

Mさんとは入学した美大で一緒になり、大いに驚いた。
時々、八王子の大学からの帰りに、電車で一緒になったりしたが、中学時代の話をしたことはない。





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