真の日本人とは何か

一つ前の記事でネトウヨという言葉を使ったので、これについて少し説明するために、私の考える保守像について語ってみようと思います。私的なネトウヨ論です。

保守思想というのはもともとヒュームやら英国の経験論哲学に根差していて、これが政治学的にはエドモンド・バークとか、経済学的にはベンサムやらの系譜になっていくわけですよね。ハイエクなんかの主張は非常に説得的で、政治思想がむしろ経済思想に引っ張られる時代がずっと続いてきた。ただ、経済思想はそもそも道徳哲学から生まれているわけですから、これは考えてみると当たり前の話です。で、自由主義の主張というのは、そもそも道徳観念すら経験的なもので、人間ごときが合理的にすべてをコントロールできるわけないっていう考えです。

ヘーゲル的な理想主義は結局のところ全体主義へと至ったわけで、ハイエクの言った通り、共産主義は必然的官僚主義でナチズムと同じです。でも、このいかにももっともらしい保守的な経済思想が行動経済学を生み出してしまって、経験論的資本主義もシステムとして行き詰ってしまったわけです。アダム・スミスが言ったように、分業を前提とする資本主義は道徳なしには成立しえないものなのに、行動経済学はその経験的本性である道徳観念をバイアスと見なし、これを食い物にするわけです。このような流れは資本主義が主義として完全に自己矛盾に陥ったことを意味します。

それで、普通の脳みそのある方なら、進歩観念がそももそ間違っているのでは?というごくごく自然な直観にたどり着くわけです。例えばチョムスキーなんかはこれをデカルト的方法的懐疑によって言語学的に説明しようとしました。チョムスキーが面白いのは、経験論的思考に基づきながら、方法論としての合理主義者をやってるところです。つまり、進歩観念を疑ってるわけで、実際は経験論でも合理論でもないんです。ただただ、真理に到達しただけです。哲学的にはナンシーがバタイユを援用して似たような事を言っています。すごく簡単に言うと、私たち(個人主義的社会)は、進化ではなく、劣化しているってことです。

時間という観点から存在を説明しようとしたハイデガーは、おそらくいち早くこの直観に至ったのではないでしょうか。いや、キルケゴールやショーペンハウアーから彼に至る実存哲学の系譜は、ある意味で悲しみの哲学の系譜でした。だからこそ、最終的に民族主義と結びついたのではないでしょうか。私はそう感じています。滅びゆく存在でしかないのなら、いったいどこに正義があるのか?「そもそもなぜ何かが在るのか」と直観することでハイデガーがだどりついた答えが、民族としての連帯だった、ということではないでしょうか。経験主義でも合理主義でもない実存主義も、ある意味で行き詰ってしまった、と捉える向きもあるようですが、私は、そうではなく、結局、実存主義だけが本質的に正義と向き合ってきたのではないかと考えています。

悲しみを前提としながら、尚、それにどう立ち向かうか。アレントやレヴィナスなど、ハイデガー以降の哲学の系譜は、みな悲しみを前提として正義をどのように実現させるか、ということを思考してきた哲学の系譜です。

「深く直面し、そして抗い続けること」

アレントの言葉は、精神的なスローガンではなく、とても本質的なメッセージです。私は哲学とは無縁の分野におりますが、大学一回生の時に「存在と時間」を読み、ハイデガーの悲しみを肌で感じ、その日なかなか寝付けなかったことを覚えています。

さて、抽象的な話はこれくらいにして、私たち日本人に目を向けましょう。
保守論客として有名だった西部邁さんが面白いのは、欧米の自由主義を学んだ上で、日本人の本性に立ち返ろうとしたことです。ヒュームの思想を日本人として実現させるにはどうしたらいいか?これはもう答えは簡単で、古来よりある仏教とか儒教とか、そういう思想にまずは立ち返って考えるのがいいに決まってます。で、これを経済学的に目指そうとしたのがアマルティア・センや宇沢弘文で、坊主を嫌っていた西部さんは、私に言わせればチョムスキー的方法的懐疑で、合理主義者になって、「仁」の政治的実装を目指したんだと思います。つまり、西部さんは保守でもあり左翼でもあった。西部さんが志向していたのは明らかに儒教的な国家で、だからこそ姜尚中さんのようなアレント的仁者との対話にも一生懸命だった。ですよね?

それで、具体的にどうやってアングロサクソニズム的自滅主義に立ち向かうかって話をしますと、これはハイデガーを反面教師としながら、アジアでの連携を模索するしかないと思います。だって普通に考えてみてください。コロナワクチンで日本人をぶち殺したり、世界中で紛争を起こしまくって金儲けしてるような連中と、本来平和主義のアジア人が調和できると思いますか?これは、さしあたってはノーセンキューと言うやつです。で、まずは本性に立ち返るべきですから、日本人の本性を問うと、日本人はどう考えても朝鮮人ということになりますから、当然、仮想敵がいる状況ですので、連携する方がいいわけです。そもそも島国で資源もない国がなんで偉そうにコロナワクチンを打ちまくりながらアジア諸国に喧嘩を売りまくってるのでしょうか。これは完全に頭がおかしいと言わざるを得ません。次の五千円札に印刷される女性は、西欧を笠に着て朝鮮人を差別しまくってた女性ですが、ああいうのは保守ではなくて、ハッキリ言ってルサンチマン丸出しの空っぽな人間です。ネトウヨなんです。いいですか?まずは、過去の歴史と思想に真摯に向き合いながら、順を追って、今を確認しつつ、未来を守ってゆくこと、このようなスタンスが保守で、このようなスタンスに立てる人が真の日本人です。

おわり


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