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「秒速5センチメートル」第2話 コスモナウト 感想

月9ドラマで触れられていたことからアニメ映画「秒速5センチメートル」を思い出し十数年ぶりに鑑賞した記録です。

ネタバレありなので、未見の方はご遠慮ください。鑑賞後に御覧いただけたら幸いに存じます。



第2話「コスモナウト」

3つの呪縛

第1話で貴樹の心が縛り付けられた呪縛について整理すると…

第1の呪縛は踏切での原体験である。貴樹は明里の言動によって「好き」という感情と「ずっと一緒に」という明里との一体感を持つ。これがすべての始まりだった。

第2の呪縛は庇護の感情。教室で同級生から揶揄された明里を守った貴樹は「好き」「ずっと一緒に」に加えて「守る」という想いを意識した。しかし、明里の引っ越しで「ずっと一緒に」が崩れてしまう。その結果、「守る」べき対象の明里を責めてしまった。自責した貴樹は何があっても「守る」という想いを強く持った。

第3の呪縛は桜の大樹での「キス」である。

貴樹の種子島への引っ越しが決まり、貴樹も明里も、それぞれがずっと一緒にいられない現実を受け入れていた。貴樹が岩舟の明里の元へ会いにいくのはケジメを付けるためだっただろう。

明里は「別れのキス」をして駅のホームでの見送りの際に「これからも、きっと大丈夫」と貴樹にエールを送ることで決着をつけることができた。

貴樹は逆に「守れる強さ」が欲しいと、キスの感触と共に想ってしまう。「強さ」と「立派さ」それを持った大人になるという強迫観念の呪縛。

ここで気付かなければならないことは、貴樹も明里も一度も直接相手に「好き」という言葉を言ってはいないこと。お互い明確な意思表示をしないままのキスと別れだったのだ。これは貴樹にとってはかなりの重荷になっただろう。

この3つの呪縛にかかってしまった貴樹は、種子島で高校3年生となっていた。彼の心は、その名前の通り、遥かい栃木県岩舟の原にあるい桜の大に凍結されたまま。

それは第2話冒頭の貴樹の夢に象徴されている。

明里と思しき女性と丘を上がる貴樹。丘の頂上から見える空はどこか地球の空とは違う雲が浮かんでいる。夜明けの陽が射し込む。その空に浮かぶ惑星が地球なのかもしれない。陽の光が二人の顔を浮かび上がらせるが女性の顔が鮮明になる寸前、高校の弓道場で弓を放つ貴樹の姿に切り替わる。

おそらく貴樹はその夜眠れなかったのだろう。その女性の顔が浮かび上がる直前に目が覚めた。それから眠れずに早々に登校し、ひたすら弓を放っている。

貴樹が狙う的とは何なのか?的の向こうに岩舟の桜の大樹を見ているのか?そこに残してきた明里なのか?明里の顔が鮮明にならないのはどういうことか?

貴樹は中学の時はサッカーという集団競技だったが高校では個人技の弓道部に所属している。これも貴樹の心境の変化なのだろう。

第1話の最後で「彼女を守れる強さがほしい」と思い続けた貴樹。弓を放つ行為は、その思いを的にして極限まで集中することに繋がっているような気がしてならない。的に集中することは、貴樹の有する強迫観念をより強くさせるように思えてならない。

明里は電車での別れ際に「きっと大丈夫」という励ましの言葉をかけただけ。恋する相手との別れ際の言葉ではない。これには「この先、私がいなくても」という枕詞があったはず。明里はこの時点で貴樹のことにケジメをつけることが出来ていた。

貴樹が明里と別れた後の電車の中で思っていたことは「彼女を守れるだけの力がほしい」ということ。この枕詞は「明里が助けを求めてきた時に」である。

悲劇的なのは、心の決着をつけた明里が貴樹を頼ったりしないことだ。明里は自分の人生を自分の足で歩き始めている。明里から手紙が来なくなったことで貴樹はそのことに気付いているかもしれないが直視できないでいる。使う機会のない技を鍛え続けることは虚しいことだろう。特に目的が失われていた場合は尚更である。貴樹はそこから目を背けているのだ。

だから、夢の中で彼女の顔が鮮明にならない。貴樹が夢の中の彼女を直視できるようになるためには別の女性の存在が必要だった。

澄田花苗すみだかなえ

貴樹の同級生に澄田花苗がいる。彼女は貴樹が転校してきた時から貴樹に恋している。貴樹と同じ高校に進学するために猛勉強するくらいに貴樹のことが好きである。

進路のことや貴樹のことで心が乱れ、趣味のサーフィンも波に立てなくなりスランプの花苗。

花苗は決意する。波を上手く乗りこなせたら貴樹に告白することを。

このように澄田花苗は彼女の全存在で遠野貴樹が「好き」なのである。「好き」という感情が溢れんばかりの花苗は、青春の典型像であると言っていい。青春の典型像である花苗の存在は、我々に青春の甘酸っぱさや切なさ、そして、貴樹の心のいびつさや苦悩や辛さを呈示する。

花苗とカブ

気になるのが澄田花苗という名前である。彼女の貴樹への「好き」という思いはどこまでも純粋で透き通っている。澄んだ水面みなもなのだ。澄んだ水面は覗き込む者の姿を鏡のように映し出す。

貴樹は花苗の想いに気付いていたはず。しかし、貴樹は花苗に優しく接するだけである。貴樹は花苗の心の澄みきった水面を見るのが怖いのだろう。そこに映る自分の姿が歪んでいることを思い知らされるから。

貴樹は「好き」という感情を真っ直ぐに伝える存在を恐れている。花苗しかり花苗のペットのカブもそう。カブが思いっきり尻尾を振って花苗に戯れ付く姿を見る貴樹の目は虚ろである。

貴樹は分かっている。明里に対して「好き」という感情が薄れていることを。消えかかっていることを。いや、消えていることを。

貴樹の明里に対する思いは「好き」という本質的なものが消えて、「守る力」を持ち「強さ」と「立派さ」を有する人になるという本来は付随的なものであるはずの想いが強迫観念として残っているだけなのだ。

そんな貴樹に「好き」という感情がどういうものかを思い出させているのが澄田花苗という存在なのである。

ある日、宇宙センターへ運ばれるロケットの車列に遭遇する貴樹と花苗。花苗は言う。

「時速5キロメートルだって」

ハッとする貴樹。

この時、貴樹は明里のことが「好き」になった原体験を思い出したのだ。原体験で抱いた「好き」という感情と今はその感情がないことも。今まで直視できなかったことを直視できたのだ。

深宇宙探査機「ELISH(エリシュ)」

波乗りに成功したが貴樹に告白できなかった花苗。泣いてしまった花苗と戸惑う貴樹。

彼らの背後を飛び立つELISH。

その目的に向かってまっすぐ力強く飛んでいく姿に憧れを抱く貴樹。自分もELISHのようになりたい。強さと立派さを持ち続けていたいと。

そんな貴樹の姿を見た花苗も理解する。貴樹は遥か遠くを見ていることを。花苗は自分の思いが叶えられないことを思い知る。

花苗によって貴樹は自分は明里のことをもう「好き」ではないという現実に気付かされた。あの桜の大樹の元でのキスの本当の意味を理解したのだ。あれは別れのキスだったということを。

花苗の言葉で貴樹はようやく明里に対する思いは幻想であったと理解し、あのキスの呪縛を解くことができたのだ。だから、貴樹は夢の中で明里の顔を鮮明に思い出せるようになったのだ。

しかし、貴樹は目的に向かって真っ直ぐに飛ぶ探査機そのものにはなれない。あくまでもコスモナウト(宇宙飛行士)なのだ。

探査機は地球という存在から解き放たれたものである。実際、ボイジャー1号と2号が太陽圏を脱出しているように。

しかし、宇宙飛行士は地球環境から切り離されては生きていけない。母胎と臍の緒でつながった胎児の如く宇宙飛行士は地球環境という呪縛から逃れられない。宇宙飛行士がたとえ宇宙遊泳をしても母船という地球環境を持ったものから離れられない。

この第2話のタイトルがコスモナウトというのは、貴樹の中に「守る力が欲しい」「守れる強さ」「恥じることのない立派さ」という呪縛がまだあり、その強迫観念からは逃れられてはいないということを暗示していると思える。

ちなみに、コスモナウトとは、ロシアにおける宇宙飛行士の表現らしい。アメリカではスペースマンやアストロナウトが使われるようだ。新海誠は語感からコスモナウトを選んだのだろうか。

さて、遠野貴樹がコスモナウトからELISHになれる時が来るのだろうか?ELISHのように母なる存在から独り立ちして歩き始められるのだろうか?

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