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大滝詠一「カナリア諸島にて」の心象風景

この曲は大滝詠一さんの不朽の名盤「A LONG VACATION」に収録されており、「君は天然色」とカップリングでシングル盤としても発表されたものです。アルバムとシングル両者とも1981年3月21日リリース。

私がこの曲を初めて聴いたのは学生時代、友人の下宿先でした。当時その友人はずっとアルバム「A LONG VACATION」のカセットを流していた記憶があります。

初めて聴いたときから私はこの曲のなんとも表現できない魅力にとらわれました。

不思議な曲です。ちょっと聴いた感じは夏のリゾート地の歌のようですが、よく聴くと、浮世離れしたような、そんな印象を感じさせます。


風も動かない

というフレーズ。

何故動かないのだろう?爽やかな風が吹いた方がリゾート地には相応しいだろうに、とずっと疑問に思っていました。

その後、この曲を作詞したのが松本隆さんであると知り、さらに、この当時の松本さんは最愛の妹さんを亡くされていた事情を知り、「そういうことだったのか!」と自分なりに納得できました。

というわけで、「カナリア諸島にて」が描く心象風景について私なりの解釈をしてみます。

毎度の事ながら音楽的知識が皆無なので、あくまでも詞の解釈となります。

君は天然色

「カナリア諸島にて」を解釈する上で外せないのが、シングルのカップリング曲である「君は天然色」です。この曲も作詞は松本さんですからね。

これは有名なエピソードですが、盟友の大滝さんからアルバム収録作品の作詞の依頼を受けた松本さんですが、妹さんが亡くなった事で何も手に付かず「他の人に依頼して」と大滝さんに伝えたところ、大滝さんからは「待つよ」との返事。で、ようやく書き上げたのが「君は天然色」と「カナリア諸島にて」だったとのこと。

こういう事情から「君は天然色」は松本さんが亡き妹さんの事を詠った作品というのも有名な話です。

それに対して、「カナリア諸島にて」は松本さんが妹さんの死から立ち直ろうとする状況を詠った作品なのではないだろうかと私は思っています。その観点から「カナリア諸島にて」の内容を見ていきたいと思います。

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「君は天然色」のフレーズに


開いた雑誌を顔に乗せ
一人うとうと眠るのさ
今夢まくらに
君と会うトキメキを願う

というのがあります。つまり、この時、主人公の彼はうたた寝をして亡き妹に会う夢を見ることを願っているわけですね。

ここからが夢の世界。夢の世界だから未だ行ったこともないカナリア諸島で過ごしている夢を見るのです。松本さんは当時カナリア諸島に行ったこともなく、どこか(小川国夫の小説?)で聞いたことがあるという程度だったとか。

「カナリア諸島にて」の最初のフレーズは「君は天然色」でうたた寝をした彼の夢の世界の幕開けだと思います。


薄く切ったオレンジを
アイスティに浮かべて
海に向いたテラスで
ペンだけ滑らす

このフレーズが「君は天然色」から「カナリア諸島にて」にリンクしているところだと思います。

海辺のテラス席で亡き妹に宛てた手紙を書いている夢を見ているのです。


夏の影が砂浜を
急ぎ足に横切ると
生きる事も爽やかに
視えてくるから不思議だ

妹さんが亡くなられたのが6月で、「カナリア諸島にて」の初稿が9月だったとのことです。

妹さんが亡くなられた直後は、景色がモノクロームに「視えた」というのが「君は天然色」でした。

しかし、夏が過ぎ秋の気配がする頃には「生きる事も爽やかに視えてくる」という感じで精神が立ち直っていく様子が描かれています。つまり、裏を返せば、それまでは生きることも爽やかに見えてはいなかったと言うことですよね。


カナリア・アイランド
カナリア・アイランド
風も動かない

風が動かないというのは凪の時でしょう。この段階では凪の時間帯に入ったばかりの感じです。さっきまで吹いていた風が凪になり止まったばかりで、時間も止まってしまったかのようです。

彼岸と此岸(しがん)


時はまるで銀紙の
海の上で溶け出し
ぼくは自分が誰かも
忘れてしまうよ
防波堤の縁取りに
流れてきた心は
終着の駅に似て
ふと言葉さえ失くした

この歌詞は、妹さんが旅立った彼岸と自分がいる此岸を表現しているように思えてなりません。

生と死の狭間。だから


時はまるで銀紙の
海の上で溶け出し

というように、時間が過去・現在・未来という明確さがなくなっていくわけです。そして、


ぼくは自分が誰かも
忘れてしまうよ

と、自己の存在さえ曖昧なのでしょう。それが生と死の狭間。

仏教では、生死の海を渡って到達する悟りの世界を「彼岸」といい、その反対側の私たちがいる迷いや煩悩に満ちた世界を「此岸」(しがん)と言うそうです。

そして、彼岸は西に、此岸は東にあるとされています。

彼がうたた寝をしている東洋の果ての日本(此岸)から夢を見ている西洋のカナリア諸島(彼岸)。そこに流れ着いた妹の心は生の終着駅である彼岸であり、妹さんにかける言葉もありません。だから言葉さえなくしたのです。

ぼくの岸辺


あの焦げだした
夏に酔いしれ
夢中で踊る
若いかがやきが懐かしい

「若いかがやき」とは元気だった頃の妹さんの姿なのかもしれません。

しかし…


もうあなたの表情の
輪郭もうすれて
ぼくはぼくの岸辺で
生きて行くだけ….. 
それだけ...

「君は天然色」では色はないけど妹さんの表情などがはっきりと視えていた感じでした。

でも、「カナリア諸島にて」では彼岸へと旅立っていった妹さんの表情の輪郭が薄らいでしまっています。これは即ち、彼は自分のいる世界(此岸)でしっかりと生きていこうという気持ちでしょう。

だから


ぼくはぼくの岸辺(此岸)で生きていくだけ….. 
それだけ...

なんですね。


風も動かない


カナリア・アイランド
カナリア・アイランド
風も動かない

ここでの「風も動かない」は、そろそろ凪の時間帯も終わりに近づき、再び、風が吹き始める予感がします。時間が再び動き出そうとする予感です。

この「カナリア諸島にて」は、どこか浮世離れした感じがしたのは、このように松本さんが妹さんを亡くされた悲しい出来事が根底にあったからなんですね。

妹さんを亡くした直後の悲しみは「君は天然色」で表現し、そこから立ち直る状況を「カナリア諸島にて」で表現したのかなっていうのが私の解釈です。

うたた寝から目覚めた彼はきっと力強く立ち上がったと思います。

松本さんの悲しみと、それを待った大滝さん。苦しい中、書き上げた松本さんの詞にあのようなメロディをつけた大滝さん。この二人が揃うことで永遠に残る名曲、そして名盤ができたのですね。





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