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NHK大河ドラマ「どうする家康」第5回 感想

突っ込みどころの多い大河ドラマだなっと思いながらも、久々に戦国時代が舞台なので、とりあえず視聴している。

主人公はそのタイトル「どうする家康」からも分かる通り徳川家康。このドラマの家康(現在は改名前の元康だが、ややこしいので家康)は、軟弱で優柔不断で決断が迫られる度に迷っているという人物として描かれている。そんな男がいかにして天下を統一するまでになったのか、その成長物語という感じ。

状況としては、大雑把に言うと、名古屋辺りを織田信長が支配して、その東側に家康、更に東側の静岡辺りに今川義元、という配置。

織田家と家康の松平家は成り上がりであるが、今川家は足利将軍家の親戚筋であり名門の大名。で、織田家は港を支配し海上交通から得られるお金は潤沢で裕福である。それに対して家康の松平家は細々と田畑を耕す小さな豪族である。

このように有力な勢力に挟まれた家康の立場は弱い。だから、家康は織田家の人質になったかと思えば、今川に捕まった織田家の武将と人質交換され、今川の人質になり、その領地も今川が代官を置いて支配している、そんな状況下で織田信長に今川義元が討たれたのである。その結果、今川の支配力が弱まり今川からの独立の機会が巡ってきた家康であった。

まさに「どうする家康」である。

でも、家康に限らず、この時代の人々は常に「どうする」と選択を迫られていたのだろう。その選択を最後まで間違わなかったのが豊臣秀吉であり徳川家康であると言える気がする。

もちろん、徳川の大名として生き残った武将たちも選択を間違えなかったと言えるし、さらに、徳川三百年を生き残り明治時代を迎えることができた大名家もそうだと言える。

そして、今現在を生きている私たちも選択の連続の中で生きている。つまりは、一人ひとりが気の遠くなるようなアミダクジを引いてきた結果の集大成が現在の姿であり、そのアミダクジは今後も続いてゆく。

このような事を考えさせられた今回の大河ドラマ。視聴し続けるか脱落するか、今のところ分からないが視聴する限りは楽しみたい。

で、この第5回は「どうする半蔵」とでも言うべき回であった。

服部半蔵と言えば、伊賀忍者の頭というイメージがある。それは彼の父が伊賀出身で後に伊賀や甲賀の忍び集団を預けられたことによるイメージであろう。半蔵本人は、実はバリバリの武将である。「槍の半蔵」とまで称された武闘派なのだ。

今回は、武将としての生き方を全うしたい半蔵に忍び働きの話しが持ちかけられる。それは、今川からの独立を狙う家康は今川領にいる妻子を脱出させるという作戦である。

半蔵は迷ったあげく、その作戦を遂行する。その時の半蔵のコスチュームが千葉真一を彷彿とさせるバリバリの忍者衣装だったし身のこなしも忍びそのもの。

「無茶苦茶やる気やん!」と思わず突っ込んだのであった。

今回は全くの創作であると思う。あの当時、半蔵の配下にあれだけ多くの伊賀者がいたとも思えないし。

ただ家康のみならず、その家臣団も「どうする」と決断を迫られる情景は今後も続くだろう。その象徴として描かれた半蔵の苦悩と忍者衣装の着こなしや身のこなしが面白かった。


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