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「嫌いではない=好き」 ではない

今してる仕事は好きですか?
お付き合いしてる彼のこと好きですか?
今の自分のこと好きですか?

そんな質問をしたときに、
「嫌いじゃない」
という声が返ってくる。

特に困ったこともないし、
苦痛を与えられてる訳でもないし、
すごく嫌なわけでもない、
という意味での「嫌いじゃない」。

「嫌いじゃない」という答えには良いも悪いもないんだけど、
「嫌いじゃない」は「嫌いにならない最低限のラインはクリアしてる」であって、
「好き」ではないということは自覚しておく必要がある。
それが「好き」なら、ストレートに「好き」と言うだろうに、
それを阻む何かが心の中あることも。

「嫌いじゃない」はある種の妥協だ。
誰にだって、「嫌いじゃない」はある。
それを人生から排除する必要もない。
妥協がないのはそれはそれで窮屈だもの。

けれど自分の幸せや尊厳に関わるところを「嫌いじゃない」で諦めないほうがいいし、
身の回りのありとあらゆるところが「嫌いじゃない」で埋め尽くされているのも不健康だ。
それは、人生そのものの妥協につながるから。

家もそう。
「嫌いじゃない家」ではなく「好きな家」を目指す。
それは心地よくて、安心できて、楽しくて、満たされる家。

でも、いきなり家を丸ごと好きにならなくていい。
タオル1枚からでいい。
「好き」を積み重ねていく。
そしたらいつのまにか、「好き」で満たされているから。


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