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仮住まい感覚が片づけを阻む

「散らかる」という状態は、
必ずしも怠惰さがもたらす結果ではないのだと思う。
「片づけようと思うけど、できない」
というのにはその人ごとに様々な理由があるのだ
家にまつわる仕事を通じて知った。

「仮住まい感覚」はそのひとつ。
それは「『ここはほかでもない私の家だ』という感覚の薄さ」だ。

これまでお会いした「片づけられない」方の中で
「仮住まい感覚」をお持ちだった方が住んでいた家には、

・賃貸(特に気に入ってない物件のとき)
・パートナーがすでに住んでいた家に後から入居した
・義両親(もしくは両親)と同居
・家を建てたが自分の意見が一切反映されなかった


などのバックグラウンドがあった。
これらは、自分の意志で選んだ場所ではなく、
インテリアに自分の好みがほとんど反映されていない
という点で共通していた。

そして、もう一つ共通点があった。
それは、
「好きでもない家だが、片づけや掃除の責任を担わなければならない」
という状況である。

散らかすのも汚すのも他の家族なのに
後始末をさせられるのは自分だという事実に納得できない。
しかも、片づけたり掃除したりしたところで
自分の好みの空間にはさせてもらえないこともわかっている。
この状況で片づけや掃除に積極的になれる人は少ない。

頑張って気力を奮い起こして片づけに取り組んでも、
自分がタダ働きの召使いか家政婦にでもなったような気分になるし、
やり終えても達成感も喜びもないのは目に見えているしで、
やればやるだけ、骨折り損のくたびれ儲けになることが確定している。
どうしても心の抵抗が生まれる。

それで、「片づけられない」となる。
それはむしろ無意識の「片づけたくない」という叫びでもあるだろう。

人は、自分が愛するもの、大切にしたいものは、
誰に言われずとも率先して世話をするものだ。
だから、片づけや掃除に積極的になるためには、

この家は、ほかならぬ私が、
私の意志で選び、
私の好みでインテリアを整え、
私仕様にカスタマイズした大切な場所だ

という思いを根底に持つことが必要になる。
ならば、片づけようとして何度も躓いてきた人は、
片づけ法や掃除法を実践する前に、
「仮住まい感覚」に対処したほうがいい。
それは、人生の舵を大きく切ることにもなりかねないから、
なかなか大変なことではあるけれど。

とはいえ、家に対する「仮住まい感覚」が強いほど、
人生にも「仮住まい感覚」は広がっていくように感じるので、
家と人生を自分の手に取り戻すためにも
取り組む価値は十分にある、と私は思う。




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