見出し画像

自分を愛するってどういうことかわからないなら

セルフネグレクトという言葉がある。
ネグレクトは親が子の世話を放棄することを指す。
世話とは入浴や着替え、食事などのほか、
掃除や片づけも含まれる。
自分を健康に活かすために必要なこれらの行為を怠ることが
セルフネグレクトだ。
(ちなみにセルフネグレクトの背景には精神疾患などがあり、
 性格の問題ではない)

「世話する」というのは愛情表現のひとつ。
幼児にとって、満足な食事が与えられ、
清潔で気温にあった衣服を着せてもらい、
衛生的で安全な空間に居させてもらえることは、
養育者からの愛を伝える一番ダイレクトな方法だ。
自分の安全と心地よさと健康な成長が
誰かに助けられ守られているという事実は、
自分がここにいることを許されている、
自分は愛されている、という感覚を作る
ひとつの土台となるだろう。

ならば「住まいと暮らしを心地よくする」ことは、
「自分の世話をする」ということであり、
ひいては「自分を愛する」ということになる。
だから、自分の愛し方がわからないというひとは、
ひとまず「家や暮らしを自分にとって心地よくする」ために
いろいろやってみればいい。

とはいえ、自分にとって心地よい暮らしや家について、
誰もが明確に理想を持っているわけではないから、
まず「自分の心地よさ」を考えることからそれは始まる。
「居心地がいいってどういうことだろう?」とか
「この家でどんな一日を過ごしたいだろう?」とか
考えることも含めて「いろいろやる」なのだ。
それは「自分と向き合う」ことだし、
「自分を愛する」ということでもある。

子どもを愛するとか友達付き合いを大切にするとかも
一歩目は相手の好みを考えるところからでしょう。
「この子は何色の服を喜ぶかな」
「Aちゃんはどんなプレゼントを喜ぶかなあ」
って考えるところから「愛する」は始まるから。
その過程を端折って行動すると、一方的な正しさの押し付けになる。
とりあえず男の子だから青の服でいいでしょ。
とりあえず流行ってるものあげとけば満足でしょ。
というマインドで与えたものが相手の心を満たす可能性は低い。
それは自分に対しても同じだ。

だから、「私はこの家でどんな一日を過ごせたら幸せか」って、
考えることから始める。
すぐに思いつかなくて当たり前。そんなに簡単じゃない。
何度も、何度も、聞く。
そして、自分から返ってきた答えにそって、
自分が暮らしたいように家を片づけていく。
もちろん間違うこともある。
そしたら、また聞く。

「どうしたい?」
って何度も聞くことが愛で、
「そうしたいのか、じゃあ、やってみようか」
と実践することが愛で、
「(やってみて)違ったか、まあそれも経験だね」
と失敗を許すのが愛で、
「それで、次はどうしようか?」
とまた聞くことが愛で、
「今度はそれをやってみようか」
とまたトライするのが愛だ。

つまり、片づいた部屋が愛なのではなくて、
片づけるまでの全過程が「自分を世話すること」であり、
「自分を愛すること」なのだ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?