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「片づいた部屋=心地よい部屋」ではない

散らかっていることに悩む人は、「片づきさえすれば家は心地よくなる」と思いがちだ。
でも、そうではない。
「片づけること」は「心を満たす」ことに必ずしも直結しないからだ。

それは、「悩みがなくなる」ことが「心が満たされる」ことに直結しないのと似ている。
例えば、会社での悩みの種だったモラハラ上司が異動になった(悩みの解決)としても、
自分の仕事にやりがいを感じ結果に満足できるかどうかは別の話であるように、
幸福になるためには、「悩み」を解決するのとは別に、
直接的に心を満たすための何かも必要になってくるということだ。

家においても、散らかったものにそれぞれの住所が割り振られ、
それらが仕事を終えた後に、常に所定の場所に戻るようになったとき、
片づけられない自分への劣等感や罪悪感は減るだろうが、
(もちろんそれも大切なことだね)
自動的にそこが自分にとって安心できる居場所になるわけではない。
実のところ、整理収納の資格を持ち、常に家は完璧に片づいていて、
いつだって家に人を呼べるレベルだけれど、
「家が心地よくないし、好きじゃないし、落ち着かない」
という人は珍しくないのだ。

実は私自身がそうだった。
ひとり暮らしを始めて約30年。
無駄なものは持たないから捨てられないと悩んだことはなく、
片づけに困ったこともない。
いつだれが来ても「ほんとうにきれい」と褒めてもらえる家に住んでいた。
でも、家にいるのが「幸せ」「安心」と思ったことはなかった。
無自覚だったけど「落ち着かない家」だったから、不必要なカフェ通いが多かった。

そうなった理由は、「自分の心を満たす」という基準で日用品を選んでいなかったことが大きい。
自分が何が好きで、どんなものに魅力や価値を感じ、どんなモノに囲まれて暮らすと幸せかなど真剣に考えず、
粗悪品でない程度の品質で、見苦しくない色で、できるだけ安いものをというような適当な基準でしかモノを選べなかったから、
「嫌いではないし不快でもないが、喜びも楽しみもなく、満たされもしない」家ができていた。
それは当時の私の生きかたそのものでもあった。

私の家を居心地よくするために必要だったのは、
家具や日用品において「心地よいと感じるもの」を自分自身に丁寧にヒアリングし、
予算などの条件の許す限りその要望に寄り添い、叶えてあげることだった。
家を通して「心を満たす」ことだったと言ってもいい。
そうして出来上がっていった家はとても心地よく、「早く帰りたい家」になって、カフェ通いは劇的に減った。
「幸せだな」と感じる瞬間も増えた。

散らかった状態という「問題」を解消するには「片づけ」が必要。
でも、「居心地のいい家」という「幸福を実現」するには、
片づけとはまた別のアクションが必要。
片づけたいと強く願う人は、片づけだけに注目するのではなく、
「どんなモノが身の回りにあると満たされるか」にも注意を向けておくといい。



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