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もうすぐお盆だから

立秋を迎え、夏のピーク過ぎました感を感じるのは僕だけでしょうか?

季節の変わり目ってやつですね。

もうすぐお盆なので死者にまつわる話というか、僕の人生観を変えたお話をひとつ。

2021年の年明け早々。
当時、大阪に住んでいた僕に
実家から一本の電話が入りました。

電話の相手は母親。
その内容たるや
「お父さんが癌になった」でした。

病気が発覚した時点で余命3ヶ月。
今思うとその半年前。
2020年の夏くらいから少し体調が
すぐれなかったようでしたが
うちの親父は典型的な江戸っ子気質の
東京生まれ、東京育ちだったので
多分気合いで何とかなる!みたいに
我慢してたんだと思います。

対して母親は
元来マイペースで
ADHD気質&認知症気味なので
他人のちょっとした変化に気付きませんし、
いざとなったらあたふたするだけ。
こういうと言い方悪いですが
自発的にモノを考え、親父を
上手く支えるなんて
とてもじゃないけど出来はしません。

親父もそれがわかってるから言わずに
我慢してたんだとは思います。
愛するが故の、心配かけたくないみたいな
漢気だったかもしれません。

でも、その我慢もとうとう限界が来た。
だから病院に行った。
時すでに遅しってやつですね。


そんな流れで僕は嫁をひとまず大阪に残し
急いで実家へと戻ったのですが
親父はもうその時には
すべての延命治療を断り
死を受け入れる覚悟をしていました。

最後の願いは

せめて病院じゃなくて自分の家で死にたい

即座に快諾しました。
僕には兄貴がいたのですが
何年も前に死んでるので子供は僕1人。
けっこう歪な、というか…
決してまともな家庭ではなかっんたんですが
不思議とその時は
親父の願いに応えてあげたいって気持ちに
なったのを書きながら思い出してます。

独身ならまだしも家族持ちの場合
大概の病人や老人て病院やらホームやら
ある程度、設備の整った所で死ぬのが
普通?だとは思うんですが

家で死ぬとなるとそれはそれは大変で。
食える飯も普通から少量に、
少量から噛まないで済むものに、
そこから僕が口に流し込むように。
最終的には点滴。

起き上がりもトイレも最初こそ自力でしたが
次第に支えが必要になり
起き上がるにも電動ベッドが必要となり
最終的にはオムツ。
痰を除去する機械まで操らなくちゃならない。
極限のにわかナース。
臨機応変な対応を
求められるフリースタイル。

日々日々弱りゆく父親を見届ける毎日でした。

電話を受けてから3ヶ月。
あっという間に親父はあの世逝き。
家族に見守れ、手を握られながら
死に方としては考える限り
最高だったのかなと思います。
74歳でした。

僕と親父はほぼほぼ同じ背丈で
声まで似てる。
電話口で間違えられることも度々。
毎朝ウォーキングしたり何かしら運動してて
老人にしては背骨も曲がらず
今思うと立ち姿はシュっとしてました。
70越えてもジーパンにアロハシャツが似合う。
ある意味で「粋」な爺さんでした。

そんな父親の葬式を迎え
棺に収まった姿を見た時に

自然と自分も死んだら
最後はこの「画」になるんだな、と。
僕が死んだら限りなく近い形になるというか。
死後の自分の状態
それがどういうものなのかも
我が身に置き換えて
具体的に想像がつきました。

そして生前、親父と2人きりで話しました。
足が浮腫み始めたらもう死までわずか。
その段階でした。
亡くなる3、4日前。
僕は親父に向かって言いました。

「もうさ、ストレートに聞くけど。親父は死ぬじゃん?俺にやって欲しい事とか心残りとかない?」と。


親父はしばらく考え、こう言いました。


「やっぱり残していくものについて不安だな」

それはボケ気味の母親のことであり、
自営業だったので店のことであったり。
遺しゆくものに対しての、
そういう類の言葉でした。

僕は返しました。

「でも親父もいい歳じゃん?仮にこれから生き続けたとして絶対に老いていくから。病気やら怪我やらおかんを絶対カバーしきって安全!なんてのもないじゃん?」と。


それを聞いた親父は弱りながらも
カラカラ笑いました。

「言われてみればそうだな。若い頃は将来について不安だったし、死ぬ直前の今は遺していく者についての不安だし、考えてみたら生きてる限り、不安て消えないんだなー」


それが親子らしい最後の会話でした。


そこから僕は思うようになりました。
人は安心・安全を求めがちだけど
絶対の安全・安心なぞこの世に存在しない。
多かれ少なかれ絶対に不安は消えない。
生きてる限り。
不安を感じるのも生きてるからこそ。
囚われるか囚われないかの違いで
それは自分次第なんだ、と。

その親父の死から1年とちょっと。
今度は先のお話で書いた通り、
僕の最愛の人が亡くなりました。

病気とはいえ、
人生をそこそこに長く生きた親父と
30歳の若さで突然あの世に旅立った嫁。
嫁も病死ちゃ病死ですけど。

若くして突然死ぬ。
ゆっくり自然の流れを全うして死ぬ。
それらの死の対比、コントラスト。
人が死ぬとはどういう事かを
僕はその時に痛感しました。

自ずとその間をどう生きるか、が見えてきます。


まあ、そんな流れもあって
僕は再びバンドマンに戻ったんですけどね。

生きた証を遺したくて。
血の繋がり、想いの繋がり、
顔の見えなくなった誰かさんの分まで。


それ考えたら、これを書いてる今も
間違いなく今この瞬間しかないですし
この夏も今しかありません。
今年の東京は歴代最多の猛暑日を記録しているそうです。

来年はもっと暑いかも知れません。
あるいは冷夏かもしれません。

どちらにせよ今を、
今この瞬間を大切に生きてこそ。
変なプライドや社会的なあれそれは
死の前では無意味です◎

だからこそ!
二度と戻らない今年の夏を楽しみましょう。
僕は今年の夏、
新しくタトゥーを彫ってもらいました。
お義母さんとゆっくり飲む、なんて
いいひと時を過ごせました。
皆さんの夏はいかがでしょう?

死から得た生き方、喜び方のお話でした◎






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