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二世帯住宅が完成しない #17 メール

「ピロリン♬ メールだヨ!」

これを聞くと中学生の私は、条件反射のように母のケータイをつかみ取る。

当時ケータイを買ってもらえなかった私は、母のケータイからメールを送らせてもらっていた。

友人からメールが届くと、私はすぐに返信する。時にはケータイを握りしめ、友人と追っかけるアイドルがMステなどに出ていると、実況するように感想を送り合った。

「山Pキターー!」「萌え~!!!!」などと、なんとも中身のないメールであったが、返信後、私はこまめに友人とのメールを削除する。母に見られるのが嫌だったからだ。

なぜ見られると思うかというと、私が「見ちゃうタイプ」なもんで。

ちなみに、当時兄も同じくケータイを持たされず、一緒に母のケータイを使っていた。兄はやりとりを消さない。恐らく兄は「見ないタイプ」だから、見られると思わなかったのだろう。

なんて性善説なヤロウなんだ。普通見るだろ。

『○○くん(兄)のことは、友達としか思えなくて…』
という兄宛てのメールを見ちゃったときは、衝撃を受け、私はしばしフリーズした。

「なんでこんなオープンな場で告白?!」と心の中で兄に大きなツッコミを入れる。そして兄の失恋は、私まで切なくした。

そんな小話は置いといて、母もメールは消していなかった。

母は、どちらかというと性悪説で生きるタイプだ。消さないとすれば、よっぽど見られてもいい内容のはず。私は友人の返信を待っている間の暇つぶしに、母のメールの中身を見た。

「え?」

私は思わず声を出した。かなり「え?」だったもんで。
私は「ケータイ共有歴」史上、2度目の衝撃を受け、またフリーズをする。

読んだメールにはロマンスの神様のBGMが聞こえた。私は母がロマンスの渦中であることを知るのに、時間はかからなかった。

母よ。こんな内容のメールをなぜ消しておかない…。


これを読まれている皆さんもご経験があるのではないだろうか。
イロコイは、知能を劇的に下げる。

IQも低下し、時には酩酊状態に近いという。もしくは、その知能はチンパンジー並みという説もある。

私にも思い当たる頃がある。

彼氏ができたとき、チンパンジーの脳に退化した私は、仕事中も思考が上の空に召す。デートを控えた日なんてものは、上司を適当にいなし、仕事を早めに片して切り上げた。恋愛中、人は無意識に行動が雑になる。

当時の母も、御多分に漏れないのであった。
ロマンス中の母は、娘たちとケータイを共有していたにも関わらず、浮かれてか、マズイやりとりを消していなかった。

なかなか強い衝撃を受けた私だったが、この時は怒る気力があった。浮かれる母は、子どもながらに見苦しい。そして何より、母が父に冷たくなったのも、これが原因だと思うと悲しかった。

母に正気に戻ってほしい私は、しばらく悩みに悩み意を決して、事の重大さを手紙を書いて母に渡した。

気まずかったのか、母から反応はなかった。

反応はなくても、行いを改めてくれたらそれでいいと思った。
それ以降、ケータイにお相手の名前が現れることはなかった。


この頃、すでに家族団欒なんてものは我が家から消えていた。
どこから歯車が狂ったのだろうと、私は時々考える。

母は、華の20代を子育てにささげた。
ハタチそこそこで結婚し、妊娠を機に仕事を辞めた。

しかし退職は本人の意思ではなかった。なんでも父方の祖父母に「家庭に入りなさい」と言われたとか。

どうしても仕事に出たかった母は、私の就学を機に、義両親を説得して社会復帰した。

両親が共働きとなり、私は鍵っ子になる。TVや飲食は好き放題で、誰もいない家は天国だった。安心してくっちゃねしたおかげで、私は小3の1年間に7㎏増えた。成長期は、運動不足であると横に長く伸びる。

能天気に肥えていく私の横で、母は大学デビューならぬ社会復帰デビューを果たしていた。持前の社交的な性格を武器に交友関係を広げていく。

毎晩、母は固定電話で誰かしらと長電話していた。仕事の愚痴から噂話に花を咲かせ、楽しそうだった。父は口下手なのであまり話し相手にならず、口が達者な母は、交友関係を広げることで発散していたのだろう。

社会に出て、生き生きするのはいいことだ。
しかし、外食も多くなり、泥酔状態で帰宅して和室にマーライオンしたときは、私は鮮度の落ちたイカくらい白い目で母を見た。いやいや、はっちゃけすぎだろう。

母は「お調子者な性格」といえば一言で済む。ただ、静かに耐え忍んだ20代の空白を埋めようとして、「自由な自分」に酔いしれているようにも見えた。

そして、この妙な反動が大きな遠心力を生んでしまい、一時ロマンスに溺れたのだろうか。さらに父との喧嘩も増え、夫婦関係は大いにこじれた。同時期に重なった私と兄の反抗期も、それを後押ししたと思う。

人は己で納得した道を進まないと、後になって未練が妙なエネルギーを生み、だんだん操縦が利かず引き際もわからなくなる…のだろうか。

かといって、生きていると自分の努力だけではどうにもならないことは沢山ある。でもそんな状況下でも、意識的に自分を納得させる「落とし所」を見つけることが大事なんだろう。これは今の自分に向かって言っている。


安心してほしい。
その後、母は無事に更年期にやられ、今はすっかり落ち着いている。更年期障害とは、この歳で勢い余っている人にとっては薬なのかもしれない。

あと、こんな母だったが、昔から母親業はしっかりする人だった。

仕事に疲れていても毎日、母は家族のために栄養を考えた料理を作った。食べ慣れているからでもあるが、私はどんな料理よりも母の料理が好きだ。

それに母は、子どもの健康を一番に気にかける。少しむせただけで「風邪?!」と心配するし、親知らずを抜くというだけで心配して歯医者までついてくるのだった。

そんな子ども想いの母ではあるが、父との関係はなかなか修復が難しかった。10年以上喧嘩ばかりだと、今更仲良くなんて無理なのだろうか。

よくある「河原での喧嘩」で、お互いが力の限り殴り合い、最後は2人で倒れこみ「フッ…お前、やるじゃねえか」「てやんでぇ、おめえもな!」と笑いながら肩を組んで帰っていく。
…そんなハッピーエンドはこの夫婦には想像しにくい。

あれから長い年月が経ち、相変わらず仮面夫婦な気もしていたが、二世帯計画には二人とも喜んでくれた。彼らなりに夫婦で前を向いているものだと、私は少し期待し、一緒に話を進めていった。

しかし、新居の設計にて、両親スペースの仕様を2人で意思決定する段になると、夫婦で話し合いもできず、意見が割れたまま、思い思いの要望を私にメールで送ってくるのだった。

こんな両親と二世帯住宅なんて建てられるのだろうか?私も勢いで進めてきただけに、今更ながら大きな不安に襲われる。

しかし渡りかけた橋。意を決して、私は実家に乗り込む。

ここまでお読みいただきありがとうございました!これは二世帯住宅を通じて、「家族」について考える連載エッセイです。スキをいただけたら、連載を続けようと思います。応援よろしくお願いします!

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