イラつき 正しさ
人にイラついてしまうとき、なぜ人にイラついてしまうのか。
本人は自分のしていることが正しいと思って行動しているはずである。
ある程度年齢を重ねて、自分のやっていることはまちがっていると思いながら行動に移す人はなかなかいない。
だから自分が誰かに対してイラついているとき、それはただ自分の中においてのみ正しくないということなのである。
私は最近人によくイラついてしまう。
私はその人に対して、なぜそんな人を傷つけるようなことを言えてしまうのか、その言葉の重みになぜ気づくことができないのかなど疑問に思う。
そう考えたら、イラつき=疑問なのか?
だとしたら、ふだん抱く疑問とイラつきにつながる疑問は何が違うのだろうか。
私がいつもイラつくときは、相手の考えは絶対に間違っている、自分の考えがあっているという自信を知らぬ間に抱いている。
その自信をもって相手に怒ったり、叱ったりしてしまう。
私はそれを正しいと信じている。
でも私が何か言おうとしたら、友達はそれを止める。
私はなぜ止められているのかわかっていない。
でも、信用している友達に止められてしまったら、自分の考えより、そっちの方が正しいのではないかと思う。
そもそも「正しい」とは何なのか。
そんなものはひとによって違う。
育ってきた環境によって、その人の「正しい」は変わっていく。
また、人生において関わっていく人から受ける影響によっても「正しい」は変わっていくのである。
「正しい」が変わっていくということは実に不思議である。
少し話が変わるが普段生活していると、私に対して謎に煽ってくる先輩や大人に出会う。
私はそれに対してもイラついてしまう。
ある日、それを姉に話したことがある。
姉は、いつも私に予想外の答えをくれる。
その日、姉は、「そういう人には、すごく丁寧な態度をとればいい」と教えてくれた。
人に対して煽る人は非常にみじめである。
そのみじめな人に影響されて、イラついたりするなどといった感情を動かされてしまうのはもっとみじめである。
なら大人の対応をすればよい。
しかし、この話と「イラつき」の話は少し論点がかわっているかもしれない。
最初に提示したイラつき=疑問は、イラついている時点で、つまり、疑問を持ってしまったみじめになってしまうのだろうか?
疑問を持った時は自分が成長するチャンスだと思っている。
ならイラつき=成長なのか?
相手の「正しい」を理解しようとしているのか?
それか「イラつき」とは疑問だけを抱いて理解しようとしていないということだろうか?
誰かに対してイラつくのはいいことなのか?
相手に自分の「正しい」をおしつけているだけなのか?
押し付けるのはそもそもよくないことなのか?
きっとこの答えも人によって異なるのであろう。
そう考えてしまえば、自分がとるべき行動はどの視点を基準で判断すればいいのかわからなくなってしまう。
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