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かめの穴場


 職場近くにかめ(スッポン?)の穴場がある。聞けば毎年恒例で、9月頃まで続くという。毎日土管の中、あるいは土管の上で甲羅干ししていないか見るのが楽しみの一つになってきた。

 私の職場は田主丸町。先日被災した竹野地区は目と鼻の先だった。7月10日の大雨の際は職場に向かう途中通行止めで辿り着けずUターンで帰宅。後になって聞けば周辺は水に浸かり、職場内でも車が浸かったり、近隣ではよく利用する飲食店も被害があったそうだ。奇しくも職場には水が入ってこなかったので翌日から営業できている。そうはいってもこれまで経験したことのない大雨の影響はいたるところに及び、物的な被害のみならず体調を崩したり、ストレスを感じている方々がいるのは言うまでもない。

 そんな状況下で無力さを感じながら日々車を走らせ職場に向かっている。大刀洗町から真っ赤な片ノ瀬橋へと行く前には田園風景、橋を渡り終えれば河川敷、そして青々とした耳納連山が連なっている。この耳納連山もまた様々な顔を見せる。晴れ、曇り、雨。また時間帯によっても大きく違うので、その壮大さを表す言葉はあまり見つからない。

 話をかめに戻そう。かめを見て思い出すことがある。小学校時代に親戚からくさがめをもらって飼っていた。小さかったかめが日々大きくなっていく過程は楽しみであり、野球を始めて少し忙しくなっても餌やりはこまめに行っていた。そんなある日学校から帰ると母から浮かない顔で「ごめんね、かめ死んじゃった。」と言われた。何を言っているのか訳が分からないし言葉も出なかったが、よくよく話を聞くと近所のおじさんが甲羅干しを勧めたという。それに倣って外に放っておいたところ、かめの調子が悪くなったという。母を責めたような気もするし近所のおじさんを悪く行った気もする。その後穴を掘りかめを埋めた。

 あれから20年近く経った。あれさえなければ、あるいはあれをしておけば…と思うことは数知れない。それでもあのとき飼っていたかめをどうにかすることはできなかったか、そしてそうすれば今もまだともに生きていたのではないかという気持ちがふと蘇る。暑い日々が続くこの頃、炎天下に出してしまった後悔と現在の気候が当時と比較にならないほど暑く、この状況下で暮らしていくことの難しさが入り混じっている。


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