元体育会のアンチ体育会思想論
自分が何かについてうまくいかない場合、普通の人はどう思うだろうか。
体育会マインドはこうだ
できない理由は、練習不足だ。もっと考えて、もっと場数を踏んで強くなれ。
あいつの方ができるのは、あいつの方が努力してるから。
あいつが天才だとしても、努力で上回れ。お前は凡人なんだから。
お前はここで終わっていいのか?
失敗は成功の過程でしかない。
NGワード 向いていない。苦手。
こういった言葉で奮い立ってきた人がいわゆる体育会系と言われる人だ。この思想で、成功体験がある人は、さらに布教を始める。
私は幼少期から、これを布教してくる人が周りに多かった。これを信じてたとまではいかないが、みんなが言うならそうなんだろうなと幼いながらに思っていた。
しかし、15年以上スポーツの世界を経験しできて、この思想は馴染まなかったと心から言える。体育会マインドの人の気持ちはわかるが、人にそう教える指導が無理である。
なぜなら彼らは、「頑張る」と言うプロセスを重視してその先は特に問題視していないことがほとんどだからだ。
「頑張る」が信念のため、そのフィールドや目的は意外と曖昧であることが多い。
辛いことを経験しないと、なにも成し遂げられない。そう教えられているので、まず辛いことに向かって走り出す。
会社でうまくいかなかった時。
彼らは、なにくそ!と立ち向かうだろう。
だが、今行っている業務が社会のどんな人の役に立っているのかは、重要じゃない。
例えば、営業職で自社の目標を追うことに目がいき、クライアントに本当の意味で役に立つ提案をしているのか、がこれにあたる。
そもそも、自社の目標とクライアントが求める支援がイコールであることなんてほぼない。
しかし、彼らにとってそこは重要じゃない。
自分の与えられた仕事を遂行する。
目標をなんとしてでも達成する。
そこに圧倒的に目的意識がある。
周りに辞めたいと言う社員や、モチベーションがない社員がいたらこう言うだろう。
「でもさ、せっかく入ったんだから、頑張ってみようよ!」
よく考えたらよくわからないロジックだ。
頑張る目的を全て無視している。
「せっかく〇〇したんだし」理論
大袈裟だが、
犯罪に巻き込まれちゃったんだし、せっかくなら死刑くらうほどの大罪目指そっか!
ぐらい意味わからん。
そこは自分の信念持てよ。
「置かれた場所で咲きなさい」
って言葉。捉え方によっては恐ろしくて、一部の人にとても都合のいい言葉にも聞こえる。
もっと人って自由でいいだろ。植物で例えるな。植物は自分で動けないから、動物や風に運んでもらって命を育む。
人は自分の足で歩ける。自分が輝く場所を自分で選べる。そこが自分に合わなければ、別の場所にだって動き出すことができる。何度でも。
自分を信じて、頑張りたい、負けたくないならそれでもいい。
興味がない、モチベがないならそれでもいい。関心ごとを探しても、探さなくてもいい。
少なくとも自分は、人でありたい。
若いしね。
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