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社会の授業(実技)


今日は彼女が飲みに行くらしく1人の時間ができたので、久々にnoteを書くことにする。

最近の近況は、「忙しくなってきた」の
一言に尽きる。

仕事は徐々に任されていく仕事も増え、一年目だからという甘えも通用しなくなってきた。精神的なストレスが蓄積している。

それに加えて、転職活動。
徐々に面接が増えてきて、タイトなスケジュールの中、平日に面接を入れるのは相当キツい。

ついこの間も、最終面接の日程が1週間後の日にちに確定し、午後休を申請すると「配慮をもって1ヶ月前に申請しろ!」と叱責を受けた。

おそらく最近の私の評価は、「仕事に不真面目で配慮ができない若手」だろう。

もちろん、そんな中で面接を行なっているのでうまく行っているわけではない。

エージェントに添削してもらっているが、書類さえ通る確率は1/3程度だ。

土日は企業研究を行う。

彼女が、遊びに行きたいと言えばあまり断りたくもない。あまり思い詰めている姿も見せたくないから。

しょうもないプライドだが、それも自分を苦しめている。

楽しくない。ふとしたときに虚無感に襲われる。彼女に慰めてもらっている自分にも腹が立つ。社会が全て敵に見えてしまう。

贅沢な悩みなのはわかっている。
家があって、親も生きてる、友達もいるし、美味しいご飯を作ってくれる彼女もいる。

でもなぜだか、会社を辞めると決意した瞬間から社会と切り離された様に感じる。

社会から認めてもらえる免許証を捨てた気分だ。いわゆるニートと呼ばれる人はこう言った漠然とした罪悪感と共に生きているのかと、ふと思った。

売れていないお笑い芸人や、俳優や、ミュージシャンの様に偉大な夢がせめてあれば格好もつくが、何もない。

何も残ってない。だが、誰が仕事を辞めようが、辞めまいが社会は進む。ものすごくシンプルだ。

シンプルで、当たり前のことだ。
ずっとそうだったはずだ。

友達ができないクラスメイトを見てきた。
不登校の生徒を見てきた。
受験で落ちた友達を見てきた。
試合に出られなかったあいつを見てきた。
好きな子に振られたあいつを見てきた。

社会が弾き出す結果はいつも、無表情で理にかなっていて、シンプルだ。

受け入れて進むしかない。
その回数が多いのが多分大人だ。
決してそれを諦めて何も感じなくなった人ではない。

社会人1年目も終盤だが、「社会」や「大人」という言葉を嫌でも考える一年だった。

社会人として、成長したかはかなり微妙で、まだ社会に対してゴタゴタ屁理屈を並べるにとどまっているが、大人へは一歩ずつ進んでいる様な気もする。

10年後これを読んで鼻で笑えるようにするを、目標においてみる。

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