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娘たちをさらって…シングルマザーへの道のり(4)

2009.4.23日のブログから

補足含めブラッシュアップしてます。

今はバァバっ子の孫にも恵まれて…

***
娘たちと離れ離れの日々が過ぎていく。

離婚成立がしていなく、住所を知られないように簡単には住民票も動かせず。

そんな状態で、当時正社員での就職は難しかった。

児童手当等の給付も世帯主である旦那の方へ入っていく。

なんだか理不尽だと感じた。

離婚できていないので県営住宅等も申し込めない。

宙ぶらりんで助けが一番欲しいときに何もすがるものがなかった。

唯一手を差し伸べてくれたのが皮肉なことに、世間からは眉ひそめられるような存在の○○ザな人たちだった。

でも私と子どもたちには とても良くしてくれた。

世間一般から見れば、そして集団になってしまうと悪い人たちではあるが、ひとりの人としてみれば、どこか辛い過去も背負っていたり、情にもろい部分も兼ね備えているのだろう。

子を思う気持ちは伝わるのか・・・

今はすっかり縁が切れた人たちだが、彼らの荒くれた心に潜む善意のおかげで私の今がある。

役所関係でことごとく冷たくされた私に彼らは優しかった。

昔からの友人だと思っていた人たちも、近所の人たちも

旦那の報復が怖く誰も味方にはなってくれなかった中で、子ども達ともども匿ってくれた彼らの事は今でもありがたく思っている。

下手な○○ザよりも手に負えないと地元で思われていた暴れ者の旦那も

本物の彼らの近くにいる私を執拗に追うことはできなかったようだ。

とりあえず住む場所だけは確保できた私。

息子を近くの中学に転校させた。

まだ幼稚園だった末娘は 託児所に預かってもらったりしながら・・・

とりあえず生きていく為の日銭が必要だ。

昼間は警備員、夜はスナックと昼夜働いた。

合間に隠れ家を提供してくれた○○ザな皆様の運転手もこなしていた。

夜中であろうと容赦なく呼び出される。こちらはボランティア。

住む場所を提供してもらっているので仕方ない。

免許を持っている普通の人間のわたしは彼らには貴重な存在でもあったらしい。

この隠れ家・・

私がそこを紹介されたときには家の主の荷物はあるものの長い留守の為、掃除をしていてくれれば家賃はいいからと一階の隅の十畳一間の部屋を間借りさせてくれた。

大きな屋敷で、一階の私たちが借りた部屋の隣には大きなキッチンもお風呂もすべて揃って自由に使えた。

玄関には大きなシャンデリア。。。玄関脇の部屋には大きな海がめの剥製もあった。

あんな家に住めることはもうないだろうな。

でも・・あとで知ったことだが、

差し押さえ物件を動かせないようにするために住んでいる人が必要だったらしい。

ギブ&テイク・・都合よく利用されたのではあるが・・・本当に感謝もしている。

半年ほど・・そこでの生活を続けながら離婚の為に進み続ける。

あの場所がなければ、裁判で戦う勇気がでなかったかもしれない。

ただひたすら生きていく為に働く・・

その合間にも娘たちに会える手段をあれこれ考えていた。


私からの携帯は娘に掛けてもつながらないようにされていた。

それでも、監視の目をくぐって娘がいれた留守電に『助けて』って声。。

つらいなんてもんじゃない。

法律で保護命令出るまでが特につらかった。

旦那は怖いし・・思うように動きがとれなかった。


ようやく保護命令が出て、その書類見せて学校に行き

娘達との面会?頼んだりもした。

それだけの書類をみせて説明しても、応接室でほんの10分程度しかくれなかった

学校。その数分の間に、

「お母さんに手紙書いてたらみつかってお父さんに蹴られたんだよ」とか

あれこれ聞く・・・

その場で連れて帰りたかったのに・・それも叶わず・・

子どもたちが全員揃うまでに4ヵ月かかったかな。

次女(当時小学二年生)は旦那が気を緩めて、学校への送り迎えをしなくなった頃に

学校の帰り道に待ち伏せして連れ帰ることができた。

土曜日だった為ランドセルがなくて・・すぐにはランドセルが買えず大変だった。

長女(当時小学四年生)は、更に数週間後・・・

旦那と買い物に出ている時を狙い、合間に友達に娘の携帯に電話かけてもらう。

トイレに行く振りをして逃げるように伝言し、無事トイレで合流。連れ出し成功。


その後、裁判所に相談し、まずは調停から・・

しかし怖くて逃げた私に一緒に話し合う場所は死にそうなほど怖かった。

待合室等では顔を合わせなくて済むようにしてくれたが、一度は顔を合わさなければならない。

結局不成立のまま・・・親権をとり、離婚してもらう為に裁判になったのだが、


ここでも、○○ザの人たちが弁護士を紹介してくれた。

おじいさん弁護士でしたが、とても良心的でいつでも料金はいいからと言ってくれた。
とても、ありがたかった。

人生捨てたもんじゃない・・・・世間から見捨てられたような人たちの中から

私に手が差し伸べられたのだった。



それからも波乱にとんだ日々が・・

っていうか信じられないような日々がつづいていく のだが・・・・続きはまた・・・・

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