テート美術館展の感想
六本木の新国立美術館で開催中のテート美術館展に行ってきた。
その名の通りテート美術館のコレクションより光をキーワードに18世紀末の絵画から現代のインスタレーションまで幅広くピックアップしたという、なかなか大規模な企画だ。
平日に行ったにもかかわらず盛況で、大人はもちろん10代と見受けられるお若い方も多かった。夏休みだもんね。
いろいろ見どころはありましょうが、今回のお目当ては19世紀デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイと、ドイツの現代アーティストであるゲルハルト・リヒター。
展示室に入ると、序盤からターナーを始めとするイギリスの風景画やモネなど印象派の作品がずらり。
それらを人垣の後方から鑑賞しつつ、さくさく進む。
「室内の光」にフューチャーしたこじんまりとしたエリアにてハマスホイを発見。
ちなみに、印象派のエリアにはハマスホイが支持していたホイッスラーの絵もあった。
しかしハマスホイは確か印象派をボロクソに言っていた気がする。
ホイッスラーを印象派に分類するのは、かなり大雑把な見方なのだと思う。
なんというか、印象派はもっときらめいている。
筆触分割で描かれた水面や人の皮膚は、まるで光の粒子がうごめいているように見える。
きらきらと音まで聞こえてきそうなくらいに。
対してホイッスラーやハマスホイが描く光には動きがない。
絵画の全体感重視で、モノの質感はあまり描写されていない。
きらめきがない。無音の絵画とでも言おうか。
この静謐が、私は好きだ。
ゲルハルト・リヒターの「アブストラクト・ペインティング(726)」はマーク・ロスコの近くに展示されていた。すごい空間だ。
そもそもすごい作品しかないんだけれども、ここだけは「作品同士の間隔をもうちょい開けてくれ」と言いたくなるような、個々の圧が異様な一角であった。
本展示の作品群の中で、光だと言われて一番納得できる作品がこちらだったように感じた。
抽象画や現代アートは、テーマそのものよりも、作品を見た時の納得感で最終的な完成度が決まるように思う。
百聞は一見にしかず、を体現できているかどうか。
そうでなかったら言葉でいい訳だし。
以下、他に気になった作品たち。
この画家にとって、彼女はまさしく自らが仕える女王様だったのかな、などと想像してしまった。
不意打ちのジョン・エヴァレット・ミレイ。来てたんか。
オフィーリアをいつか生で観たい。
大きい。ドラマチックで好き。
キリがないので、このあたりでやめておくことにする。
感想が絵画に偏ってしまったが、写真、立体作品、映像を使った作品など、時代やジャンルも含めてかなりバラエティに富んだ展示だった。
これといったお目当てがなくても、好きな作品を見つけるつもりで行けば楽しいと思われる。
それにしてもイギリス人はジョンが多いね......。
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