深酔いエッセイ2「憶測線上の松本人志」その2

ダウンタウンがデビューしたのは、
確か1983年頃だったと思う
当時流行っていた笑いは、ドリフやひょうきん族であった
これらは後のビッグネーム、志村けん、たけし、さんまを生んだ
しかしその笑いは、胸から上で笑うような、浅い性質の類いであった
たけしにコマネチ、と言われても、私は半笑いする程度である
アホを演じてアホをやっても、やはりおもしろくない
それでおもしろいのは、坂田利夫ぐらいである
その頃松本は、島田紳助をリスペクトしていたという
同年、かの天才、中島らもが主宰する、伝説の番組が始まった
中島らもは、それまでに書き溜めていたネタを成仏させるため、とその理知的でシュール、ブラックな笑いを、番組で披露した
その笑いは腹にくるもので、それ以前にはない斬新なものだった
かつて中島らもが、語っていたことがある
「おもしろいものがないから、自分で作るしかないわけですよ
言わば、自家生産、てやつです」
すごい言葉である
そしてダウンタウンもデビュー直後、その番組に何回か出ていた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?