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仕事とは

仕事って最近何なんだろうって思う。

人に何かを提供しその対価としてお金をいただくことが仕事なのだろうか?

現代社会では仕事というとこのイメージがある。

だが仕事の本質はそこにあるのだろうか。

私はよく街や公園、森、海とあらゆる場所へ行きその場その場で自然の中で暮らす生き物や植物の世界を覗かせて貰っている。

そして気づいたことがある。

それはそこにあるのはお金も仕事もない循環型の世界ということである。

自然の中で水と太陽のエネルギーで育った植物は草食性の虫や動物たちによって食べられ、またその生き物は今度は肉食性の虫や動物たちによって食べられる。

学校ではこの肉食動物を生態系のピラミッドの頂点であると学ぶがそれは人間の一方的で都合良い見方に過ぎない。

おそらくそこだけに焦点を当てることによって自然界が弱肉強食なのだから人間界の本質も弱肉強食で勝者が正義の世界だとでも刷り込みたいのだろう。

話が逸れてしまったが、その肉食動物たちもいずれは寿命を迎える。

そしてその死体は分解者と呼ばれる小さな昆虫や微生物たちの働きにより土に還ることができるのだ。

そして、その土からまた植物が育ち最初の流れに戻っていく。

このようにエネルギーが円を描き循環しているのである。

そして、仕事という概念すら存在しない世界だとも思う。

どういうことかと言うと、彼らはそれぞれ自分の個性を表現しているだけで結果的に他の誰かの役立っていて世界を循環させているのだ。

例えばミツバチは自分たちの生きるために花を訪れそこで蜜を集める。

また、花は自分たちの生きるためにミツバチに花粉をつける。

ミツバチはまた蜜を集めるために別の花を訪れ、その花では受粉が行われ実ができるようになる。

ここで考えて貰いたいのはミツバチは花のことを考えて蜜集めるをしているかどうかということだ。

ミツバチは自分たちの生きるために花を訪れて蜜集めをしていただけである。

決して花のことなんか考えてその行動をしてい
た訳ではないたろう。

ここで言いたいのは自分のしたいことを(自分の表現)をしていたら結果的に他者が役立つ行動をしていたということである。

これは自然界における全ての存在たちに言えることで皆各々のしたいことを表現しているだけで結果的に他の存在の役に立っていたということだ。

植物は生えたい場所に生え、鳥は飛びたい時に飛び、猫は寝たい時に寝ている。

こんな感じで各々が好き勝手やってる世界なのだが、他者のためという意識や対価という概念がなく、彼らの世界は循環しているのだ。

今の人間の社会では仕事とは誰かのために何かをした報酬としたお金をいただく仕組みであることがほとんどだろう。

しかもその誰かのためにしたいこと≠自分のしたいことであることがほとんどだろう。

自分が好きだからというより人気が出そうだから、需要がありそうだからやるということを強く意識し過ぎてしまっているのではないだろうか。

その結果、お金を貰っていてもそれが自分のやりたいことではないためエネルギーはすり減っていき、いつまでも満足感は得られないのだろう。

私は本来の仕事とは何なのかと考える。

私は自然に生きる生き物や植物たちの生きる姿を見て本来の仕事とは自分の個性を表現することだと思った。

誰かのためという表現が前提にあるのではなく、自分のしたい表現を思いっきりした結果、誰かのためになっていたというのが仕事の本質ではないかと思ったりする。

何が言いたいかと言うと役に立つという考えは結果論であって、まず初めに自分が心から楽しんでいないとお互いに満たされる形にはならないということだ。

この考え方で仕事をするのなら常に自分がこれが好きという気持ちが中心にあり、その上で周りの需要と合致するポイントを見つけるのがベストなのではと思う。

そして、好きなことというのは自分の唯一無二の表現になるのだと思う。

だから仕事になるのだとも思う。

また、好きじゃないことを仕事にすると楽しむ余裕が生まないため、いかにしてそこから逃げるか楽をするかしか考えられなくなってしまうことがほとんどだろう。

そのため仕事に対する工夫もできず、オリジナリティのある仕事にならないのだ。

オリジナリティというものはその人の工夫によって生まれ、その工夫は好きなことに対する情熱や心の余裕から生まれるものであると私は思う。

だから、本人が楽しむ余裕がないのに、仕事にするためにオリジナリティがあるものを出そうとしても面白みのあるものは生まれなかったりする。

それっぽいものができてもそこには無理をしたエネルギーが乗るから人の心を動かすことはできないだろう。

技術はあるのになぜか惹かれなかったりする物や人はこれが原因なのかもしれない。

結局、何が言いたいかというと好きを突き詰めると自然とその人にしかできない表現になるから自然と仕事になる。

他者のためではなく自分の心が喜ぶということが中心にあって何かをするから周りも満たされ、結果的に仕事になっていたということである。

だから私は今日も虫を探しながら道を歩く。

読んでいただきありがとうございました。

※文章中の意見や感想は全て私個人的なものです。

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