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20秒テレビに出た話

タイトルは中学校の修学旅行の話。

他の中学は分からないが、私が通っていた中学は(なぜか)親にとったアンケートで上位になった地域から先生が総合的に判断して選ぶというシステムとなっていた。
なので、一つ上の学年は長野に行っていたし一つ下は東京とディズニーに行っていた。

当の私たちの代はというと"南九州"というざっくりした行き先であった。
プランはざっくり1日目は宮崎に行ってファームステイで一般のお宅に泊まって農業や畜産業を体験。
2日目は熊本に移動して球磨川でラフティング。
その後、鹿児島に移動後知覧の特攻平和会館を見学して指宿温泉に宿泊。
そして、3日目に鹿児島市の天文館周辺で自由行動というものであった。

タイトルの話があったのは1日目の夜。
その日お世話になる農家や牧場の人は私たちのアレルギーや多少の希望等を考慮してくれて、受け入れが決まることとなっていた。
そうして私を受け入れてくれて1日目の宿となったのは「人生の楽園」に出てきそうな穏やかな農家の方の家。
頭の中であのBGMと西田敏行さんのナレーションが流れてきて勝手に1人でほっこりしたことを今でも鮮明に覚えている。

ただ、そこのご主人はその地区と近隣を取り仕切る代表だったらしい。そんなことを微塵も感じさせないとっっっても優しい人で奥様も同じく優しくてめちゃくちゃ気遣ってくれる絵に描いたような理想の夫婦であった。

ここで私たちに幸か不幸か予想外なことが1つ。
NHK宮崎の記者やアナウンサーが私たちの学校がファームステイしに来たことを取材するというのだ。
それも、代表の家に同行して学生にインタビューをしたいという内容も家に着いてから小耳に挟んだ。
私を含めて泊まるのは4人。
さあ、誰がインタビューを受ける、、?

ここで謎に私のスイッチがオンになる。
「なんか記念になりそうだし、わんちゃんテレビ出られるかもしれないし行っとこうかな??」
他の3人がそこまで興味を示さなかったこともあり、私が代表してインタビューを受けることとなった。

ここで余談だが、修学旅行でトップレベルに驚かされたのがチャンネル数。
関西のまあまあ都会な方の街で育ち、テレビっ子だった私にとってNHKの2つ(総合と教育)と他2つの計4つしかチャンネルがなかったことは軽く衝撃であった(全くバカにしているわけではなく)。ちなみにその日は月曜から夜ふかしの後にアメトーークをやっていた。

話は戻ってインタビュー。農園に行ってトマトを収穫してからインタビューを受けるという段取りとなっていた。この時なぜか緊張ではなく、少し楽しみな気持ちが上回っていた自分が怖い。

ただ、不思議なものでどんなことを聞かれてどんなことを答えたかをほんとに一切覚えていない。インタビューをされたなぁというぼんやりの記憶。それも頭の片隅のほうに。
放送は21時前の地域のニュースであるとディレクターらしきお姉さんが教えてくれたことは覚えている。

21時前になり、静かにその時間(とき)を待つ。
始めに全体であいさつをしている様子。
次にいきなり自分が映っている。
なんだか違和感ありありで声を聴くと「こんな声だったっけ?」と気味の悪さを感じる。そういえば自分が見る自らの映像と声って誰もが違和感を感じたり気持ち悪く思うものなんだろうか?

肝心の放送は「貴重な体験が出来て良かったです」みたいなテンプレを操り人形みたいな絶妙な無表情感で答えていた。時間にしておよそ20秒。
友人たちも褒めるでもなくイジるでもなく「出たんだ〜」という感じのとりあえずのリアクションだった。
あ、そういえばこの頃7番セカンド的な立ち位置の第一次ピークだったんだ…

放送を見た奥様が嬉しそうに「DVDに焼いてすぐ学校に送ってあげるね」って言ってくれたが、8年経った今も送られてくる気配は無い。

なんだか幻となったようなうれしはずかしの人生初のテレビ出演であった。

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