疲れた時の幸せ風景

先日、タイムフリーで安住さんの日曜天国を聴いてた時のはなし。

ざっくり要約すると安住さんがこの日話してたのは、用事があった時にちょうど良い抜け道として神社の境内を通ろうとすると、ちょうど七五三のなんとも幸せそうな家族連れに遭遇したとのこと。
ここからは推測込みの話になるが、なんの気なしに幸せな風景が目に入ったら「微笑ましいなぁ」くらいかもしれない。でも、疲れているという付加価値が自らについてしまうとまったく別の問題となってしまう。なんだかどっと疲れの波が押し寄せてくるような。穏やかな海辺に急に満潮で高潮が押し寄せたかのような。。

何せぼんやり良いことないかなぁとか思いながら歩いてる時ほどろくなことはない。幸せそうな家族連れやカップル、お年寄りとか子供たちを見ていると
本来はすれ違ったり見てもなにも思わないはずだが、センサーの感度がビンビンになっているのですれ違った人達がどこに出かけてきてこれから何をするんだろう?とか想像の種が水をやらずとも芽を出し、花を咲かせてしまう。
たまーにだが幸せをお裾分けされた気になっている時もある。

こういうことを考えて、この記事を書いている時点でいついかなる時も穏やかに心優しくいたいという自分が思う究極の理想的人間になれるのは何十年、何百年先なのかもしれない。
普段周りから「優しい人だね」って言われることが多い。無意識な振る舞いがそう思わせてくれているのであれば、ありがたいことこの上ない。そしてそう見えてることでたまに吐く毒がより効力を発揮しているのかもしれない。

話は戻って職種とか経歴とか生い立ちとか諸々違うけど、安住アナウンサーを人間的に尊敬して勝手に目標(理想像)にしている。通常時の落ち着いた安心感のある立ち振る舞いとたまに顔を出す強烈な言葉の毒の絶妙なバランスが許される存在になっていきたいなぁと。
もちろんこの毒は他人を傷付けない悪口の属性ではない毒の意味で。

適度に肩の力を抜いてぼんやりと毎日を過ごしている方が案外良いことがあったりするのだろうか。

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