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ジェンダー平等という言葉の一人歩き

4年ぶりに投稿です。
最近、SNS疲れをしてしまい、SNSから遠ざかっていました。というのも
自分自身が承認欲求が強いとしり、趣味で楽しくしていたことが徐々にフォロワー数が増えると(周りのサポートがあったからこそなのですが、、)

"もっと数を増やしたい"
"もっと他人に認知されたい"

だんだん思い通りにいかないと、自分の容姿が悪いからだとか、自分に魅力を感じない視聴者に問題があるとか。そうやって自分自身で自分を蝕んでしまっているなと感じていたので、離れていましたが、SNSというアウトプットの場所がないとどんどん吸収しても忘れていくことが増えたので、ぼちぼち使っていきたいなと思います。

前置きが長くなりましたが、最近ジェンダー平等という言葉を耳にする機会が増えました。私自身が高校生の頃なんて、多様性やLGBTQなんて言葉はなかったので、徐々に認知が広がってきているんだなあと感じています。
が、ジェンダー平等って言葉が一人歩きしてむしろ一種の流行みたいな扱いになってない?と思うことが増えたので、今日はジェンダー平等について自分の考えをまとめてみました。

ジェンダー平等とはなにか?

「ジェンダー平等」とは、ひとりひとりの人間が、性別にかかわらず、平等に責任や権利や機会を分かちあい、あらゆる物事を一緒に決めることができることを意味しています。
(引用:内閣府男女共同参画局https://www.gender.go.jp/kaigi/renkei/team/jisedai/pdf/jisedai11_01.pdf

ジェンダー平等の話題では特に女性やLGBTQの方にフォーカスされた目標が多いなと思います。
私自身、女性であるしLGBTQであるので、このような形で話題となりみなさんに認知をしてもらう機会が増えるのはすごく喜ばしいことなのですが、ジェンダー平等が女性やLGBTQの方にとって明らかな優遇をするのは違うのかなとも思うのです。

例えば、最近話題になった男性は奢るべき論。もちろん、自分自身は女性でありながらもかっこいいかっこいい男とは奢るもの、という考えを持っているのでデートの時はできるだけ自分がお会計をします。
でも、これを女性側がそうすることは当たり前だと、強要することはジェンダー平等とは言えないのではないでしょうか。

ジェンダーに関しては、このように言葉がたくさん出てきています。少し前は"多様性"という言葉が流行っていましたね。

この多様性にも同じことが言えると思います。
前述の通り、自分自身がLGBTQであることからできるだけ同じようにLGBTQとして生きている人がいることをもっと世の中に認知をして欲しい、という思いもあります。

ただ私自身は必ずしも理解をしなくてはならない、とは思わないのです。

理解できる人がいれば、理解をできない人がいるように、同性が好きな人もいれば異性が好きな人がいる、これが多様性なのではないでしょうか。

”もっと、たくさん理解して欲しい、自分が生きにくいのは世の中のせいだ!”
もし、そうだとしても自分はそんなカッコ悪いことはいいたくないし、そうであることを言い訳にしたくない。
だからこそ、小さな声ではありますが、発信を続けて認知を広げていきたいなと思う最近でした。笑

当事者としてまたこれからの世代の子たちがTHIS IS MEとはっきり言えるような社会となるように、自分自身も成長していけるようにまた明日から1週間頑張っていこうと思います。

長々と読んでいただきありがとうございます。

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