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2023年6月の聖書タイム「あなたのために天使を送る神」

 by 山形優子フットマン

山形優子フットマンの執筆・翻訳 by 「いのちのことば社
新刊「季節を彩るこころの食卓 ― 英国伝統の家庭料理レシピ
翻訳本:
マイケル・チャン勝利の秘訣」マイク・ヨーキー著
コロナウィルス禍の世界で、神はどこにいるのか」ジョン・C・レノックス著
とっても うれしいイースター」T・ソーンボロー原作
おこりんぼうのヨナ」T・ソーンボロー原作

「恐れることはない。わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。」ーーーイザヤ41:10

冒頭の旧約聖書の句は、神が預言者イザヤを通して語りかけている言葉で「恐れることはない」が第一声。神は、私たちが本当に臆病で怖がりなのを、ご存知です。人が問題に直面した時、悩む場合、たちまち恐怖は暗雲のように広がり、目先真っ暗となります。同じ問題に直面しても、恐怖心さえなければ異なる対応ができるはずなのに。つまり恐怖こそが、人の足を引っ張る大敵で、必要以上に人の力を萎えさせ、勇気を削ぎ取って行くものです。恐れでグラグラと身を崩す人を見るにつれ、悪魔は嬉々とすることでしょう。サタン(悪魔)とは、ヘブライ語で「足を引っ張るもの」との意味です。

旧約聖書では神ご自身が何度も何度も「恐れるな」と繰り返されます。例えば歴代誌下20:15~17には『この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。』とあり、さらに『これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。明日敵に向かって攻め下れーーー(中略)そのときあなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたたちを救うのを見よ。ユダとエルサレムの人よ、恐れるな。おじけるな。明日敵に向かって出ていけ、主が共にいる。』と語られます。

これは友人たちによる「頑張ってね」という声かけとは全く異なります。もちろん友人たちの温かい心は本当に助けにはなります。けれども人の言葉とは異なり、神の言葉には力があります。恐れが鎌首をもたげる時は、力ある神の言葉を盾に、しっかりと信仰に立ってください。なんのために今まで聖書を読んできたのでしょうか?なんのためにこれまでキリストに従ってきたのでしょうか?試練の時こそ、これまで自分が貯めていた聖書の御言葉貯蓄を引き出して使いましょう。


詩篇27:13、14
ではダビデ王が次のように言っています。「わたしは信じます。命あるものの地で主の恵を見ることを。主を待ち望め 雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め」と。これは言い換えれば、恐れる代わりに堅く立って信仰にしがみつけという意味でしょう。恐れている場合ではない。しっかりと信仰の岩にしがみつくことに集中せねば、ということです。
一方、新約聖書では、神の子イエス・キリストが何度も「恐れるな」と弟子たちをはじめ多くの人々に語りかけています。例えば、マタイによる福音書14:25~27には次のようにあります。
夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

この、「わたしだ」という一言には「共にいる。ありてあるもの」といういう意味が含まれています。また、キリストが十字架にかかる前には弟子たちに「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。ーー中略ーー心を騒がせるな。おびえるな」ーーーヨハネによる福音書14:27と言いました。

キリスト自身は、もちろんテフロン加工のように私たちの苦しみや不安がわからない方では、ありませんでした。来るべき十字架を前にして苦しみ、「今、わたしは心騒ぐ」と神に訴えたのです。つまり、心騒いだら、主を見習って祈り訴え出ることです。キリストの叫びに対し、父なる神はすぐに応答されました。側にいた人たちは神の声を雷が鳴ったと思ったり、「天使がこの人に話しかけたのだ」ヨハネによる福音書12:27~29と思った人もいたそうです。

神ご自身、独り息子キリストはもちろん、天使までをも使し、神は人間が格闘する「恐れ」との戦いを応援してくださいます。マリアが大天使ガブリエルからキリストの誕生のお告げを受けた時も、暗黒の中、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちに突然現れて救い主の誕生を告げた天使の軍勢も、第一声は必ず「恐れるな」でした。またマタイによる福音書ではキリストが墓の中にいないこと目撃した女性たちに対し、天使が「恐れることはない」と告げています。

新旧聖書を通し「恐れるな」が連発されているわけですが、それほどまでに、私たちは、ビクビクする者なのです。さらに神の助けはリップサービスだけではなく、実に現実的で具体的です。列王記19章には、神に敵対する者に命を狙われ、逃げ、疲れ果てた預言者エリアに対し、神が天使を使わして細かく労ってくださったと書かれています。天使は疲労困憊で爆睡中のエリアを、強引ではなく、そうっとそうっと目覚めさせ、枕元にパン菓子と瓶に入った水を置き、体力が必要だから、まずは食べなさいと促します。その後、神ご自身がエリヤに語りかけた際、エリヤは再び力を得て逃げてきた道のりを、とって返すことができたのです。疲れたエリヤに新たな代行人も立ててくださいました。

あなたは気がついていますか?神が今、あなたの日常にも、たくさんの天使を送ってくださっておられることを。そして、神ご自身もキリストと共に弛まなく、あなたへの励ましのエールを送り続けてくださっています。詩篇ではダビデが次のように歌います。

あなたの重荷を主にゆだねよ。

主はあなたを支えてくださる。

主は従う者を支え

とこしえに動揺しないように計らってくださる。」ーー詩篇55:23

最後に、主を喜ぶことこそ、あなたの力になることをお忘れなく!

旧約にあるネへミヤ記は捕囚の身でペルシャのアルタクセルクセス王の献酌官を務めていたネへミヤが、王の赦しを得て、破壊されたエルサレムの壁を修復しに戻った時のことが書かれれているものですが、8:9〜12には次のようにあります。

総督ネへミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、立法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主に捧げられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。民は皆、立法の言葉を聞いて泣いていた。彼らはさらに言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分けてやりなさい。今日は、我らの主に捧げられた聖なる日だ。悲しんではならない、主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。レビ人も民全員を静かにさせた。「静かにしなさい。今日は聖なる日だ。悲しんではならない。」民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである。」

あなたも主を賛美しながら、辛い日も、嘆きの日も、仲間と主を通して心を一つにし、美味しいものを一緒に食べ、良いものを飲み、互いに分かち合うことが肝心です。そうすれば主によって力を得、堅く信仰に立つことができ、人生という一瞬先が見えない旅路を、例えそれがどんな旅路だったとしても、主にあって喜んで辿ることができます。このわたしにも、あなたの旅のお供をさせてください。