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病状が重かったときを振り返ると進歩がわかる

私はときどき、

「こんなに頑張ってるのに、ちっとも良くなってない!」

と今までの努力を認めないことがあるので、26〜30歳ごろ(2008年〜2012年)の病状が一番重かったときのことを振り返ってみることにしました。



手がつけられないほどの精神病

あの頃、私の薬の量は尋常ではなく、5mgで12時間眠ってしまう人がいるほどの強力な安定剤が、食後などに25mg出て、一日合計100mg以上飲んでいました。

多いときの処方箋(うろ覚え)


炭酸リチウム
デパケン
ルボックス
ヒルナミン
トリプタノール
エビリファイ
酸化マグネシウム
チラーヂン


炭酸リチウム
デパケン
ヒルナミン


炭酸リチウム
デパケン
ルボックス
ヒルナミン
トリプタノール
エビリファイ
酸化マグネシウム

寝る前
ハルシオン
ロヒプノール
ラボナ
ヒルナミン

頓服
ヒルナミン

この頃、一日中ぼーっとしてて、日中は寝てたり、横になって過ごしていることが多く、薬が切れると暴れて家族に暴力暴言、モノを投げたり、親を突き飛ばしたりしていました。

夜中になると、ポテトチップスやカップ麺、おにぎり、アイスクリーム、冷食チャーハンなどを過食します。

そして明け方まで、6〜8時間ほどパソコンをしていました(大抵はネットサーフィンしたり、ミクシイやTwitterなどのSNSをしたり、匿名掲示板を見ていました)

自傷行為が日常化して、ちょっと嫌なことがあると手首を切り、薬を大量に飲んで意識を失ったり、ときに自殺したくなって、高いところを探しに行ったり、首吊り、川に入ったり、低体温死を狙って夜中に半裸でベランダで寝たり、車や電車に轢かれようとしたりしていました。

なので、当時は精神科閉鎖病棟に4〜5回ほど入院しました。

当然、友達も恋人もいません。
唯一の外とのつながりは、ネットで誰かと話をするだけ。
それも喧嘩などの対人トラブルになることが多かったです。

会話相手は親と、病院の先生とカウンセラーさんだけでした。

部屋は足の踏み場もないほど散らかっており、待つことができない、本が読めないなどのADHDっぽい脳障害も出ていました。

元気なときは精力的に活動していた

であるにも関わらず、元気なときには精力的に活動をしていました。

ブログやゲームノベルのライティング仕事をぽつぽつしたり。

ライトノベルの新人賞に2回応募したり。

作詞作曲を始めて、自分の楽曲を制作し、作詞家養成事務所に所属してコンペに提出したり。

パソコンでイラストを描いていたり(当時は薬の副作用で手が震えて線がガタガタでした)

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入院中は色鉛筆とパステル持参で、絵を描いたり、塗り絵をしていました。

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そうやってできた自分の作品(イラスト、小説、楽曲)をホームページを自作して発表したり、長文のブログ記事を量産したり。

ポッドキャストやツイキャス(ネットラジオ)もやったりしていました。

こうして見ると、意外と活動的だったんですが、全て中途半端で投げ出す始末。

それでもこの時代、イラストの腕を上げる下地になっていたことを実感します。

現在の状態

今は長時間スマホやパソコンもしないし、ジャンクフードの過食もなく(ストレスで無添加のお菓子を食べすぎることはある)、怒ることも少なくなり、怒っても暴力は振るいません。薬もゼロ。

日付が変わる前に寝て、日の出には起きて、炊事洗濯といった必要最低限の家事をしながら一人暮らしをしています。

部屋は少し散らかっていますが足の踏み場はあるし、本は読めるし、待つこともできます。

喧嘩したり、悪口を言ったり言われたりすることもなく(陰口は言われてるか知らんけど)対人トラブルもなくなりました。

今も無職引きこもりではありますが、ずいぶん健康的になったなぁと思いました。

それも自分の努力はもちろんのこと、家族の協力や周辺の人の助け、見えない存在からのサポートあってこそですね。

この時も振り返っていました

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