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「病い」について

人類学者アラン・ヤングによると、病気は二つに大別される。 ふつうの人たちが理解し、感じている病気の概念や経験を「病い・やまい」(illness)とよび
医療の専門家が定義する病者への診断のことを「疾病・しっぺい」(disease)と 呼ぶ。 そして「疾病」は生医学的に定義され、治療=curingの対象になる一方、「病い」を治すのは癒し=healingである。 なお、これらは必ずしも相反せず、重複する部分もあるとしている。 これは基本的だが、重要な定義である。 病い経験にとっ

    • 日本人の病気観を語るための三つの物差し

      「日本人の病気観」要約編 第一部 医療人類学=医療文化論とは、そのまま医療における人類学(比較文化論)のことであり
実践的には“統合医療”への試みであるが、 その歴史的検討(起源への批評的な眼差し)として機能しているではないかと個人的には整理している。 
本書の文章を参考に医療人類学の系譜を少し整理すると
カーステアス(1977)がかつて指摘したように
近代生医学の成功に目がくらみ、伝統的社会の医療は「医学的」意味がないと見出した時代はもはや過去である(一部で根強く残って

      • 日本人の病気観①(本の紹介と構造整理)

        病とは、医療とは、なんであるのか?文化によって存在する差異について <一言 で 紹介> 比較文化の対象は、その最たるものに「医療」があるのではないだろうか? 「日本人」の「病気」観という大きな問いを掲げ、 アメリカの人類学者でありながら日本人である著者が庶民生活に紛れ込んで、
公式化された公の儀礼や事象、制度ではない日常生活から、
特に健康管理から文化的”象徴”を取り出そうとした本である。 病むとはどういうことか? これは医療従事者には避けられない問いであり、書籍により様

        • 終末期医療における医師の役割

          がん告知について、世論は急速に変化しており、平成元年では15%程度だった告知率は16年では94%に達している。 これは治療技術の進歩により治る確率が高くなったことも背景にあるが、 02年に行われた訴訟において、最高裁が「医師は患者家族への告知を検討する義務がある」とする判断を下したことが、 実質的な判例変更となり、以来世論の要請が高まったことが影響している。 法律には従うべきだが、告知に関して判例に従えば役割を果たしたと言えるのだろうか? 終末期医療においては、医師は病気を

        「病い」について

          代理出産について

          代理出産の是非を問えば、ケースに関わらず私は反対の立場をとる。 それはしかし、あくまで執刀の責任者である医師の所属機関である、日産婦や、厚生審議会等で禁止されている(03)からという事以上にはない。 出産は非常に個人的な経験だが、問題文の反響に見られる通り、その選択を支える医療のあり方の社会的影響力は大きい。 それゆえルール作りが必要となる。 それは無論、慎重な議論の上で成立すべきだが、是非がどうあれ例外を認め、法的拘束力が生まれないなら、個人の勝手ということになる。 なお、

          代理出産について

          いのちの文化人類学[本論①][誕生の章]

          第一部 誕生と生育  祖先崇拝と生まれ変わり まずは生命の章のはじまり。祖先崇拝を紹介している。 "桜の寿命は50年から70年であり、稀には100年、200年という老木になるものもあるが、(…)時期をみてなえきを植えておかないと、数十年後にはマエヤマに山桜をみることができなくなる"
"家の、世帯主の父親に当たる人はその頃60歳代半ば出会ったが、(…)桜の木は自分の祖父が植えたものであり、今後生まれてくる孫やひ孫の代の人々が自分の植えた満開の山桜を楽しめるように、今のうち

          いのちの文化人類学[本論①][誕生の章]

          いのちの文化人類学[序論]

          現代医療はサブカルチャーだ 「誕生 病気 死」
この巨大とも言えるテーマをなんと驚きのA6サイズ200ページ強でざっくりまとめた本。 それでいて民俗学的な事例はカラフルで一つ一つが示唆的であり、それ一つで一つ本が書けそうなくらいである。
入門書の宿命と考えれば、個別の内容にはあまり踏みこんでいないと言う批判は当たらないだろうが、通底するテーマというか、議論の展開は埋もれて見えづらい印象だった。
元新聞連載であったせいかもしれない。

なので、各テーマごとに自分なりにある話の

          いのちの文化人類学[序論]

          いのちの文化人類学[本の紹介]

          現代医療はサブ・カルチュアだ "文化人類学や民族学の研究資料は、現代の私たちの生活の状況や慣習やものの考え方とは大きく違うものを提示してくれる。 (…)それを単なる比較の対象や、過去から現在に到るまでの変化の大きさを知るための手がかりとするだけではなく、むしろ現在の私たちの生き方がどのような意味を持っているか(p24)"

  ひとこと紹介 小説よりも奇なりな事例が散りばめられて、まず読み物として面白い。
西洋医療と各文化に根ざした民間医療や伝統医療との違いのなかで
とく

          いのちの文化人類学[本の紹介]

          「インフォームド・コンセント」について400字(小論演習)

          米国初の概念である「インフォームド・コンセント」が日本に馴染むためには、その意味する所が、形式的な行為以上に法的な重要性を持っていることを踏まえる必要があるが、 それには歴史的背景即ち、米国における患者やその家族が「患者の人権運動」を通じて勝ち取った権利であり、患者の権利を守るために医療訴訟における裁判基準であることわかると理解しやすい。 人権運動を通じて生命倫理の考え方は革命的に変化したことで、医療従事者のあり方も大きく変化した。 従来は「医療を授ける専門的な職業についてい

          「インフォームド・コンセント」について400字(小論演習)

          驚きの介護人類学(書評)

          老人ホームで出会った「忘れられた日本人」 <一言紹介> ①民俗学者的な手法によって、いかに介護現場におけるコミュニケーションが豊かになるかの発見のレポート(思い出の記しを代表とする) ②それに対する民俗学者としての感動とそれを軸にした問題提起。 介護現場は民俗学的知見の宝庫。 ありそうでなかった、社会構造を支える価値観を揺るがすくらいの力がある切り口。平易で読みやすい文体も見事。正直”神本”ただし…(!) <印象的な引用><こんな文章> “そう考えた時に「人を騙す狐

          驚きの介護人類学(書評)

          [小論文演習]日本の精神科医療の問題(600字)

          著者の主張を一言で述べると、日本の精神科医療の問題点は、 福祉で行うべき領域を医療で行なっている事だ。 それにより経済的、人道的な問題が生じている。 病床の多寡はその国の関心高さを意味しない。 「精神病床数の推移」の指摘がそれを示している。 むしろ日本では、宇都宮事件に代表されるように、世界に類を見ないほどの長期的な閉鎖病棟での入院につながっている。 社会の陰で、人権無視の過剰な薬物投与や強制労働が行われていた事実があり、 異端の存在を排除したいという国民性から生じている

          [小論文演習]日本の精神科医療の問題(600字)