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「病い」について

人類学者アラン・ヤングによると、病気は二つに大別される。
ふつうの人たちが理解し、感じている病気の概念や経験を「病い・やまい」(illness)とよび
医療の専門家が定義する病者への診断のことを「疾病・しっぺい」(disease)と 呼ぶ。
そして「疾病」は生医学的に定義され、治療=curingの対象になる一方、「病い」を治すのは癒し=healingである。
なお、これらは必ずしも相反せず、重複する部分もあるとしている。
これは基本的だが、重要な定義である。

病い経験にとって、医療は重要な位置を占めるが、必ずしもその全体ではなく、疾病的見方の有効な範囲は限定されているという認識は、コメディカルとの連携、統合医療への基点となるからだ。

確かに医師は生医学的な分析と解決法により疾病を治療するが、患者にとっては癒しによって治るのであるというのは極論に聞こえる。
近年では、情報へのアクセスが容易となり、自分の病気に対して非常に深い知識を持っている患者も珍しくはない。
病院は決して非日常ではなく、生医学的治療に対してある程度自覚を持っているからだ。

しかし医療の高度化によって、一般人の病む現象の経験から乖離していく傾向を持つことは、想像に難くない。
たとえ医師個人やその家族が、病む経験をしていたとしても、
例えば自閉症の子供を持つ母親に精神科医師が事務的に病名を告げたり、
延命を望まない高齢者に必要のない胃瘻の処置を行うケースは決して珍しくない。
あるいは
終末期医療のように、病院にいて病を生きていたとしても、それが治らないものであるとき定義上、生医学的な分析は有効ではない事もある。

一方有史以来、人間は生まれ、病み、死んできた人々を扱ってきたのであり
それゆえ出産や看取りにおいては、癒しに一日の長があるし、
その中で育まれた鍼灸などの伝統医療や、助産師などの必要性がまさにそこにあると言えのではないだろうか。

参考:https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/070523illness.html


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