見出し画像

子連れ外食は地獄である

 この記事のテーマは、「1〜2歳児連れの外食は地獄である」という一点に尽きる。

 世界的感染症が落ち着いているこの隙に、友と会えないかという計画が持ち上がった。正確には、私が持ち上げたのだ。
 しかし日程調整をしてみると、どうやら実施可能な日、子ども同伴以外の手段がない。
 友は言う。
「そっちの都合のいい場所、都合のいい時間でいいよ」
「1歳だっけ? 子ども好きだし、一緒に連れてきなよ」
 私は声を大にして言いたい。

 無 理 言 う な 。


 むしろ、1歳児同伴の時点で無理なのだ。何がって、食事も無理なら会話も無理、ただ座っていることすら難しい。
 ある日の外食風景、以下である。なお私とパートナー、AとBとする。
A「おうどん、小さく切ったよ」
B「ほら、食べようか」
子「あっうー、ぶっ」(うどんを摘まみ鼻にin)
A「あっ何してるの、鼻に入れないよ」
子「やー!」(うどんの器つかみ)
B「あっだめだめだめ!」
A「まっ……ちょ、そのまま、ゆっくり、それを下において……」
子「やぁ!」(ガシャーン)
AB「「あーーー!!!」」
A「こら! ダメでしょ、わざとひっくり返しちゃ!」
B「あぁーもう、Aは先に食べてて! ここ拭くから!」
子「うっふぅん、えぐぅあぁ!」(ベビーシートから脱出)
A「ほら、せめてあと3分座ってて」
子「やあぁー! やっ、ぶぁああぁ」(号泣)
B「……ちょっと抱っこしてその辺歩いてくるから、食べたら教えて」
A「……わかった」
 このようなやり取りが毎日である。むしろ家で食べる際もだいたいこんな感じなのである。ギャグのようだが事実だ。何ならましな方だ、普段ならこれにもう一人、長男が増える。
 無論子どもらにも言いたいことはあろう。うどんがあれば鼻にも耳にも入れてみたかろうし、お皿を投げたいのに何故止められるのか分からない。椅子に座るにも車に乗るにも拘束されてはかなわない。せっかく歩けるようになったのだから、自分の力であの店頭展示の布団を床に引き摺り下ろしてみたい。
 こうして毎日毎日毎日毎日戦争のような状況に直面していながら、「あらっお友達とティーができるんですの! きっとかわいいむちゅこタンもいい子にちてくれまちゅね!」……んなわけあるか!!
 冷静になってみても、絶対無理なのである。おそらく何も食べられない。どころか話もできない。人様に迷惑をかけないよう子どもの後を中腰で追いかけて、貴重な日中の時間が過ぎる。
 そして子供が眠くなったころ、私は言うのだ。
「申し訳ない! 長男が保育園から帰るから、そろそろ帰らないと」
 こうなることが目に見えていて、それでも「私の都合のいい日に合わせてくれるの? うれぴー! じゃぁ〇〇に〇時でどう?」と言える猛者がいたら、どうか弟子にしてほしい。私には無理だ。

 ならなぜわざわざ友達と会おうなどと考えたのか?
 簡単である。まさか「子ども同伴を余儀なくされる日程しか組めない」と思わなかったのだ。
 誰も悪くない。
 
友人たちの人生のステージも異なる。ただ、それがうまくかみ合わなかっただけである。
 しかし、「子連れの外食は地獄」がなかなか通じない。
「連れてくればいいじゃん、大丈夫だよ」
「そっちの都合に合わせるから」
 無理なんだよ……そもそも地獄が見えて、心が折れてるんだよ……。
 さらにここに、例えば婚活中の友人などが入れば、「結婚して子どもがいるんだからいいじゃん、嫌味か?」などと思われる危険性すらある。
 それでも友達でいたい。同じ青春を送ったのだ、ライフステージなどで疎遠になりたくはない。
 しかし! なかなか伝わりにくいのだ!
 ならばせめて「子どもが欲しいんだ」と言う友人に「いや、子どもがいるとそれはそれでしんどいよ」などと言わないよう、自戒したいものだ。