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聞く気がない相手に君は話せるか

聞くこと、と話すこと

聞くと話すを誰かと共に考えていこうとすると、「自分は話すことが苦手」「話せない」「話すのが下手」「自分の事は話したくない」とか「話すこと」についての意見が初めはよく聞こえてきます。

我々は会話すらできないのか


バザーリアがイタリアの精神病院改革として、「オープンミーティング」=集会を提案するシーンで、「議長も、議題も、上下関係もなしだ。それを決めるのは患者だけどね。」というバザーリアに対して、仲間達が、「彼らが自分で決められると思います?」「会話すらできないのが大多数なのに」という。

聞く気がない相手に君は話せるかい?

その意見に対してのバザーリアの応答が好きだ。

「じゃあ聞くが・・・聞く気がない相手に君は話せるかい?」

聞く気がない相手に自分の思いを伝えるシーンって、家庭でも、学校でも、会社でも、病院でも、社会でも特に下から上へ伝えたい場合はありがちなのではないでしょうか。

ヒエラルキーがある場合、上の人間は簡単にやってのけてしまう。
精神病院の患者が、「会話すらできない人」というのは医者の思い込み。

聞く姿勢をもつ、発話を待つ。

まず聞く姿勢をもつ。発話を待つということがとても大切で、いかにして話して貰うか、話し続けて貰えるか。その為にバザーリアは白衣を脱ぎ一人のヒトとして患者の中へ降りていき自ら巻き込まれていく。

家庭でも、学校でも、会社でも、病院でも、社会でも上下関係なく、お互いに聞く姿勢をもち、発話を待つことができればと思います。

「互いを理解しようとしないからその間に、怒りが生まれるのです。それを乗り越えれば、人類は英知を持って、あらゆる問題を解決する事が可能になると信じています。」

と全盲の仲間からメッセージを頂きました。

「自分は話すことが苦手」「話せない」「話すのが下手」「自分の事は話したくない」というのは、思い込みに過ぎないのかもしれません。

対話を続けることで「互いを理解し合い」共創幸福を目指す「つながり」ができると信じています。

命とはつながりである

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