「逃げ」か「勇気ある撤退」か。選択におけるマインドセット
本記事は「逃げるわけにはいかない」という思いによって
いるべきではない環境でぐずついてる者に送る"選択におけるマインドセット"の話だ。
4月から社会人デビューを果たした新卒くんたちは息してるか?
まだまだ始まったばかりの研修段階。
同期とワイワイやりながら楽しく過ごせてる者もいれば
「この生活が60年も続くのか?!」と絶望してる者、
すでに業務内容や社内の人間が合わないことを悟り
転職を視野に入れてる者。
様々だと思う。
本記事は「この環境では無理だ・・・」としんどい思いをしてる者にとっては
有益な内容である。
転校する、部活を辞める、バイトを辞める、恋人と別れる、転職する。
「もう嫌だな」
「これ以上は無理」
ネガティブな気持ちのもと、
環境を変える選択を誰もが過去にしてきたことだろう。
その選択の結果、後悔もあれば成功もある。
選択の結果がどうであれ1つ言えることは
成長を求める以上、環境を変える決断をする瞬間が何度も訪れることだ。
これから何度か訪れる、環境の変化を伴う決断に
「明確な基準」を持っているだろうか。
この「明確な基準」を持つことによって
後悔なき選択ができるようになる。
それは逃げか?
今現在「環境を変えたいっ」と強く願いながらも、
ずっとその環境でぐずついている人間もいることだろう。
「環境を変えよう!」
といざ一歩を踏み出そうとした時、
ふと頭をよぎりはしないか?
という声が。
(ストイックでまじめな人間ほどそう考えやすい。)
環境を変えるという大きな選択において
「自分は逃げてるだけじゃないか?」
「逃げるわけにはいかない」
「逃げちゃダメな」
という自責の念のもと気持ちをたかぶらせ、
嫌な環境に身を置き続ける人間は少なくない。
(ブラック企業から離れられない人々しかり)
その選択は「逃げ」か「勇気ある撤退か」
転職にしろなんにしろ
「この環境から抜け出すことは逃げなんじゃないか?」
という思いが込み上げてきた時に当てはめてほしい基準がある。
これは「やりたいことの見つけ方」の著者
八木仁平さんが提唱した基準だ。
(ウルフも唸った)
この2つの基準である。
①「目的がない」なら逃げる。「目的がある」なら逃げるな。
その環境の先に、自分の「人生の目的」があるかどうか。
一度考えてみるといい。
この場所でキャリアを築くことが、直接的でなくても人生の目的へと通じる道となっているかどうか。
もしその先に目的があるのであれば、嫌なことがあっても目的を思い出し
歯を食いしばって頑張ること。
②「特性が合わず苦手」なら逃げる。「スキル・知識不足」なら逃げるな。
職場環境が自分の特性に合わなければ撤退してもいい。
一人の作業が好きな内向型タイプが体育会系なゴリゴリの大人数の職場で働くことほど苦痛はない。逆もまた然りで、チームで働くことが好きなタイプが
コツコツと一人での業務を任せられては地獄である。
このように「自分の特性」に合わない職場であればさっさと撤退すべきである。
それは諸君のためではなく「社会のため」でもある。
よりその人の価値を発揮できる場所で輝いてもらった方が
たくさんの人にその価値を届けることができるのだ。
自分の適性を発揮してより多くの価値を提供できれば
諸君らはさらに輝きだす。
苦手な環境で疲弊していては勿体無い。
諸君のためにも会社のためにも社会のためにもならない。
「勇気ある撤退」を選択すべきなのだ。
また
職場環境において「スキル・知識不足」ほど辛いものはない。
スキルと知識がないばかりに、自信を持って業務を遂行することができず
ちょっと困難に遭遇するたびにどうしていいか分からない。
常に同僚に助けを求め上司に指示を仰ぐ。
社内では「仕事ができないやつ」という評価が下され
肩身のせまい中で仕事をしなければならない。
非常に苦痛を伴う。
しかし逃げてはならない。
やるべきことは
スキルと知識がないことによる「劣等感」を学びに昇華すること。
悔しい思いをしたからこそ狂ったように学びスキルをつけること。
1つずつ積み上げて実績を残していけば
社内での見え方も変わってくる。
ウルフの過去
我は「目的」もなく「特性に合わない」環境で4年も働いた経験がある。
働く動機は「生活のため」
まぁまぁな給料と福利厚生にしがみつく"家畜"となっていた。
大人数のチームで動くうえにクレームで騒がしい環境。
初めましての顧客を毎日数十人相手にする。
内向型、繊細のシグマとして圧倒的に疲弊した。
適正に合わない職場環境から受けるストレスは尋常ではなく、
休みの日は泥のようにベットで眠り動けなかった。
休暇も二日目を過ぎようとするとエネルギーが湧いてきて
何か頑張りたいという意欲は生まれるが、脳のリソースは「明日の仕事」に向けれられる。
「目的」もなく「適正にあわない」環境で過ごすことは
ただただ時間の無駄。人生の浪費である。
家畜として命を削っているだけの時間なのだ。
この2つの基準のもとに
早急に「勇気ある撤退」をすべきだった。
そう強く後悔している。
(もっと早く独立し自分の人生を生きるべきだった。)
「逃げる」について。
最後に「逃げる」について1つのマインドセットを提示する。
「逃げちゃダメだ」
「逃げちゃダメだ」
「逃げちゃダメだ」
とシンジ殿が自分を奮い立たせように
多くのまじめな日本人は
「逃げる=悪」
だと思い込んでいる。
しかしそうではない。
逃げることについてマインドセットをここに🐺
逃げたかどうかはどうでもいいのだ。
「逃げる」ことは悪ではない。
大切なのは
「逃げない」ことではなく
「逃げた後に何をするか?」
だ。
全ての「撤退」は「再び戦うための準備」のためでなければならない。
戦国時代において
逃げたら負けではない。
死んだら負け。
なのだ。
どれだけ偉大な大将軍も必ず「撤退」している。
勝てない戦から全力で「逃げた」経験を持つ。
それは敗北者としての「逃げ」ではなく
大いなる勝利のための戦略的な撤退である。
生きるために撤退する。
とりあえず生きてさえいればまた戦えるから。
再び戦うために。
恥も外聞もかき捨て、なんとしても生き残る。
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(2024年4月現在)
「逃げる」ことは敗北ではない。
むしろ勝利を目指すための積極的な戦略なのだ。
あえて逃げて勝利のための戦闘準備をせよ。
まとめ
戦略的な勇気ある撤退を選んでも
周りは「あいつは逃げた」と後ろ指を指すだろう。
そんなことは全て言わせておけばいい。
その後に大きな結果を出せば
もれなく全員が手のひらを返す。
逃げることは負けじゃない。
大いなる勝利のための一時的な撤退である。
自分が「逃げた」ことを点で捉えず
俯瞰して見ることだ。
過去は未来によって意味を変えることができる。
心から応援している。
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