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明日の種をまく 122_20240117

命の使い方

今日はちょっと途中重たい話になりそうな気がしますが、ご勘弁を。

先日、実家の母と電話で能登半島地震の話になった。
私はこういう時、あまり自粛をしない派である。
自粛してもどうにもならず、それよりも自分にできることをしようと考えるタイプ。
母は自粛する派。感情移入しすぎちゃうきらいがある。
自分だけ自粛する分には構わないが、母の場合は少し質が悪い。
自粛しない人を批判する。「こんな時に💢不謹慎な💢」
それはちゃうやろ、かあちゃん!とすかさず指摘。

ふと「もし私が災害ボランティアに手をあげて行きたいと言ったらどうする?」と聞いてみた。

「あんたはそういうタイプよね。反対はせん」

「ふーん。そう」

「お母さんは、あんたが国連の仕事がしたいと言い出した時からもうあきらめとった。この子は自分のために死なず、誰かのために死んでしまうってな」

この話、初めて聞いた。いまさらながらちょっと驚いた。

「TVでな、避難所で知的障がい者がなかなかうまく生活できず、支援している職員さんを取り上げてるのを見たんよ。あーあんたが今しとる仕事はこんなことなんかなぁと思ってな。もし地震が起こったら、あんたお母ちゃん置いてそっち助けに行くと思ってな」

「・・・」

「でも、お母ちゃんはあんたはそういう子だと思っとるんよ。お母ちゃんや家族よりもたぶん目の前に困っとる人を助けたいと動いてしまうんや。うっかりな交通事故とか病気とかで親より先に死なれるのは困るけど、あんたは人のために死んでしまうかもしれん。お母ちゃんはもう諦めとる」

母親にそう思わせていたことを初めて知った。
電話口の母には悟られないように、少しだけ泣いた。

昔、私は「この命、人のために使ってやる」と思っていた。
その考えを改めさせてくれたのが、何を隠そう、今の夫だ。

つきあう前、ただの雑談の中で私は自分の夢を語った。
私の夢は国連の職員になることだった。発展途上の国や紛争地域に行って困っている人たちのために身を削って働きたい、などと壮大な夢を持っていた。

その壮大を夢を語るのに命を軽視したような発言をしてしまったのだろう。
今まで私の夢を聞いた人は「すごいね、うぉんのすけちゃん」と言ってただただ感心するだけだったが、彼だけは違っていた。本気で怒ったのだ。

「そんな命を粗末に考える人を僕は許せない。あなたは親からもらった命を大事に考えていない。僕はあなたの考え方(生き方)を認めない」

面と向かって本気で怒られたものだから、私は面食らった。

でも「命の尊さ」についてあまり考えていなかったことも確かだった。
「親からもらった命」というのもあまり気にしていなかった。
この命は自分のもの。自分の命をどう使おうと私の勝手。私がどう生きおうが私の勝手。そんな風にしか思っていなかった。

結局、私はこの彼に惚れ込んでしまい、外国に行くのをいつの間にかやめて、遠方に嫁いできてしまった。

この話をしながら、母は笑っていた。
「あんた、自分で何でも決めるし、親の言うこと聞かんもんね。外国に行くかと思ったら、北国に行っちゃうし。結局、お母ちゃんのところからはおらんくなったな」

50歳を迎えた私は、両親からもらったこの命を大事にしたいと思っている。
大事にしながら、人のために働きたいと思っている。
無理はしない。心配はかけない。

夫と父は私が無謀な行動をするのを止めてくれる。
母はなんだかんだ言って、心配しながらも私のことを理解して応援してくれる。

「自分のことを心から心配してくれる家族」と「自分のことを心から応援してくれる家族」に守られて、私は生きている。

両親と夫に最大の感謝を捧げます。ありがとう💗

<1年前の”ほのぼの日記”> 

昨年の私。帰省の総括に入っているようだ。
同じように家族に思いを寄せている。
今年はまだ帰省する予定がないが、親孝行はできるんだろうか。


タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。


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