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9年の平等-カレンダー・ガールズ-

「美容院で髪を切るとき、いつもなんて言ってる?」
という友人の質問があまりに的を射ていると思ったのは、1年と少し前のことだ。
思わず、その場にいた何人かが「そう!それ!」と声を合わせた。

雑誌の切抜きを持っていくとか、芸能人の名前を挙げて「○○みたいにしてください」と言うとか、そういう人もいるのだろうが、なんだかそういうのは気恥ずかしい。
だから、「このくらいの長さで~、ちょっとレイヤーいれて~」というふうに部分的なリクエストをするのだが、正直、本人のイメージとできあがりの間に少なからずの乖離があることはあまりにありふれたことなんじゃないかと思う。

でも、うまく伝えられないこっちが悪いとも思うので、仕上がりにどこか納得できなかったとしても、折りたたみの三面鏡に後頭部を映されながら「いかがですか?」と問われれば、精一杯の笑顔で「はい。ありがとうございます」と答える不甲斐ない結末。
いずれにしてもそうなんだとしたら、どんな髪型にしますかなんて、どうか訊かないで欲しいという本音は、常日頃から持っていた。



それって、たぶん、私だけじゃない。
だから、この話題に、一堂が大きな相づちを打ったのだと思う。

実は、ちょうどタイミングよく、その話題が出る直前、私はそれへの解決策を見つけていた。
まさにそのフラストレーションに応える美容院の存在を知ったのだ。

そこでは、具体的なリクエストは一切必要なく、ただ鏡の前の椅子に座るだけでいい。
初回だけはカウンセリングがあって、自分が描く「なりたいイメージ」について相談する。

「大人っぽい」とか「清楚な」とかいくつかの形容詞を並べながらイメージを具体化し、思い切って短くしたいか、長さを変えたくないのかといったポイントだけを伝えて終わる。
あとは、その人の雰囲気や顔立ち、頭のかたち、そういった要素に応じて、イメージに沿うよう美容師さんが自由にカットする。

まあ、そういうやり方に好き嫌いはあるだろうが、「エビちゃんみたいに」と言って本当にエビちゃんになるわけじゃなし、仮にそっくりの髪型にしても全く似合わないということもあるわけだし、どうせだったら、お任せで一番似合うようにカットしてしてもらえばいい、私には合理的なシステムに思える。

実際、この美容院で初めてカットしてもらった後、会う人会う人に髪型を褒められた。

「雰囲気が変わった」
「すごく似合ってる」
「それ、どこでカットしたの?」

かなりばっさり長さを変えたときでも人から一つもコメントをもらわなかったことも多かったのに、そのときは不思議なほど反応があった。
それで一層、私はこのシステムの合理性に納得し、そのときカットしてくれた美容師さんに全幅の信頼を置くようになった。

それ以来、1年と数ヶ月、私は明治通り沿いのその美容院に通っている。
担当はT君、23歳。

T君との会話は面白い。
どちらかというと、私の方が「最近の出来事」ネタだったり、「私の奇特な友達」ネタだったりを披露することが多いのだが、T君のいかにもイマドキの若い男の子っぽい反応が一々笑える。
「うぉーすげー」とか「まじですかぁ?」とか、その軽さがなんとも新鮮。
日々、こういうノリで誰かと話すことってないなあと、妙齢過ぎぎみの私はそう思う。

今や2ヶ月に1度赴く美容院の楽しみはT君とのおしゃべりにあって、今日は何のネタを話そうかななんて予め考えを巡らせる。
なんてまるで、美容師とホストクラブには共通する要素があるかもしれない。

で、そんなT君が、来年留学することになった。

高校を卒業後、美容師の資格を取った彼のキャリアは6年近くになる。
いつか海外で修行して、技術も男も磨きたいというのは、もう長年の夢だったようだ。
なんとなくぼんやり時が経ってしまったけれど、さすがにそれではいつまでも叶わないままだと腹を決めて、遂に行動を起こすことにしたらしい。

その報告を聞いて、私が感じたのは、T君の胸にそんな夢があったということへの驚きや喜びのようなもの、そして決断に対する感嘆と羨望。
「いいねえ。いいねえ」
私は何度も繰り返す。
きっと素晴らしい未来、素晴らしい出逢い、素晴らしい経験が待っているね。

海外での暮らしはいいね。
新しい生活はいいね。

そして、そういう「いいね」の中に、T君の若さに対する羨望が含まれていることに自分で少し驚いた。

私より9つも若くて、いいね。
そんなふうに思う自分。
私は、もうそんな年齢なんだね。

T君の無邪気な笑顔や弾んだ声の前で、驚いて、胸が少しきゅうと鳴る。
対峙した美容院の鏡に映る、9年分の過去を刻んだ、てるてる坊主状態の私。

でも、それでも同時に、こうも思う。

32才の私が23才の彼の若さを羨ましく思うように、9年後41才になった私は32才の誰かの若さを羨ましく思うだろう。
そういうことが鎖のようにつながる、それが人生で、それが命だろう。

私は今、どこかの誰かより9つ若い。9年後の私より9つ若い。
私の今の若さは9年後の私が羨むもので、私にはこれから先の9年間がある。

うちの会社の番組に出演している美容研究家の方が、よく使うフレーズを思い出す。
「今日のあなたは、これからの人生の中で一番若い」。

人生は、可能性を食いつぶしていく過程だ。
生まれたての赤ん坊が持つ限りない可能性は、刻一刻と減っていく。
それでも、生きていく限り、それは無くなりはしない。

イギリスの普通の主婦たちが白血病研究基金の募金集めのためヌードカレンダー作りに取り組む「カレンダー・ガールズ」という映画は、ただ平凡に生活していた保守的な中年女性たちの決心と変化の過程をコミカルに、また感動的に描く。
実話を元にした作品だが、ヌードへの挑戦に対する並々ならぬ決意は、実際の女性たちだけでなく、往年活躍した中年女優たち自身にとっても必要だった。
簡単なことではないけれど、きっかけはいくらでも作ることができる。

私には、まだ何一つ、本当に諦めてしまったものなどない。
そう信じられる分だけ、同じくらいの年齢の人たちの中では、幸運なことに、多くの可能性を残しているのだとも感じている。
まだ右を向くことも左を向くことも、上に上ることも、下に下ることも自由だ。

時間は平等。

T君、向こうでがんばって。楽しんで。
私も、がんばるから。楽しむから。



カレンダー・ガールズ Calender Girls(2003年・英)
監督:ナイジェル・コール
出演:ヘレン・ミレン、ジュリー・ウォルターズ、アンガス・バーネット他

■2007/12/10投稿の記事
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