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MEGUMIのお仕事・転職~すべては縁だから、自分を信じて~

MEGUMIの自己紹介シリーズ

好きなもの・趣味編は、こちら↓↓↓

学校・スクール・習い事編は、こちら↓↓↓


今回は、お仕事・転職編です(*^_^*)

気がつけば、20社以上、転職していて
この記事では、ダイジェストで
書こうと思っているのですが
長くなりそうです。

最初っから、
仕事を転々としようとしていたわけではなく
心のままに、衝動のままに、動いていたら
そうなりました。

過去のお仕事と、今のお仕事、
これからやりたいお仕事、順番に
書いてみようと思います♪


謹賀新年

人生初のアルバイトは
高校生の時、郵便局での
年末年始の年賀状仕分け。

友人に誘われて。

働く、という立場での
社会初参戦は、ほぉ~!と思うこと
多々、ありました。

職場での人間関係は
学校で体験しているそれとは違って
不思議な感じがしたなぁ。

”おつぼねさん”という言葉と
そういう人物がいる職場、についても
初めて知った(笑)

当時、自分は、たった二週間の
超短期バイトだったから
職場にどんな人がいても
ただ、冷静に、観察していて
こんな大人がいるんだな~、と
思うくらいでした。

でも

1つだけ、めちゃくちゃ、耐えられない
辛い、と思ったのが

フルタイム労働。

朝から夕方まで、週5日勤務×2週間
・・・これが、キツかった。

業務は、座ってハガキを仕分けするだけで
まったくしんどくない。
仕事自体がしんどかったんじゃない。

スケジュールの拘束

これが、めちゃくちゃイヤだった。

別に、家で何かをしたかったわけじゃなく
朝から晩まで、拘束されること
行動の自由がないことが
めちゃくちゃ苦しくて
ツラ過ぎて、自分でやると決めたことなのに
めちゃくちゃイライラして
スーパー不機嫌でした(笑)

高校生の冬休みは、2週間しかない。
本来なら、何をしてもいい自由な時間が
びっしり、バイトで埋まり(埋めたの自分)
なんだこの息苦しさは!?と
自分で、後から気づいたのですね~・・・。

この時点で、自分が社会不適合者だと
判明している(笑)

というか、サラリーマンスタイルが
自由奔放、神出鬼没を好む自分に
合わないことの、現れ。

仕事は、鼻歌まじりで出来るくらい
ラクチンにこなしていたけれど
二度とやらん!と思ったのでした。

仕事で抱える悩みの種類は
「職場の労働環境」
「職場の人間関係」
「仕事内容」「勤務スケジュール」
「時間・体力・給料のつり合い」
・・・とかでしょうか。

そのすべての悩みを、その後
順番に、体験していきました(笑)


お仕事

これまでの仕事のイメージ素材を並べてみた↑↑↑

うまいこと、集められた♪
(自己満足(笑))

郵便局で、ハガキの仕分けバイトをして
スケジュールを拘束される息苦しさに
辟易したものの

わたしの父親はサラリーマン
母親は専業主婦で
自分で商売をする、という考えには至らず
(そらそうか)
雇用される道を、ひたすら走ります。

・・・

なんで、バイトをしようとしたのかは
覚えていないのですが
高校3年生の時、大学は受験せず
ダンスの専門学校への進学を決めていたので
時間に余裕があったのだと、思う、多分。

家のすぐ近くのスーパーのレジの
アルバイトをしました。

昼間は、パートのおばさま達と
夕方から夜時間は、同年代の学生達と
一緒に働いてました。
週3日くらい??

で、その夜時間帯に
勤務していた学生の中に
サボり癖のヒドイ二人がいて
休憩に行ったら、なかなか帰ってこない。
パートのおばさま達、社員さんが居ないと
好きなようにしていて
わたしは、正義感の塊だったのもあり
上司に報告したら
そのサボり魔学生二人(女子)に、嫌がらせを
されるようになり。
といっても、気に病むほどのレベルではなく
やめろよ~、うぜぇなぁ~、くらい。
その二人は、学歴コンプレックスもあったみたいで
余計に、拗ねたような態度だった。

わたしは、地頭がいいわけじゃなく
めちゃくちゃ勉強したから
成績が良かっただけ。
だから、偏差値の高い学校に通っていることを
妬まれたところで、はぁ?でした(笑)
努力したの?勉強したの?っていう(笑)
中学校での勉強でいうと
右脳的勉強法、ほぼ暗記でイケる。
考える、というより、覚えるだけ♪

お仕事内容、レジは、めちゃ楽しかった。
子どもの時に、一度は憧れるのでは。
ピッ!とバーコードを読んで
カゴに入れて、レジでお金のやり取りをする。
わたしは、子どもの頃に
ごっこ遊びで、よくやってました(*^_^*)
家に、おもちゃのレジもあった。
お客さんが、カゴ2つでレジに来たら
それが、レジを通過したらカゴ1つに収まる
という、スッキリ!カゴ収納!に
情熱を燃やしてました(笑)

このバイトは
高校卒業のタイミングで退職しました。

その高校卒業後は
大阪の心斎橋にあるダンスの専門学校へ。

友人に誘われ、一緒に、難波にある
有名なお好み焼き屋さんのバイトに応募
したのですが、なんと、わたしだけが合格し
一人で通うことに。

そのお店のマネージャーと店長に
なぜか、めちゃくちゃ気に入られて
会うと、しこたま話しかけられる(笑)
店長は、ONE PIECE好きという同志で
休憩時間に、名シーンについて
熱く語り合う、なんてことをしてました。

先輩ホールスタッフは、みんな
すごく優しかったのですが
キッチンスタッフのおじさま2人に
なぜか、めちゃくちゃ嫌われてた。
まったく、身に覚えがなく、でも
ものすごく鋭い視線、キツイ態度を向けられ
今なら、「何でですか」と聞けるけど
その時は、疑問に思っても聞けなくて。

結果的には、それが、居心地悪過ぎて
辞めました。

それだけじゃなく、仕事が、激務。
ダンスの専門学校に通っていて
毎日、朝から晩まで踊って
通学も片道1時間で
飲食店のホールスタッフは
体力的に、キツかった。

あと、わたし、食べるのが
遅いのですよ。人より、時間が掛かる。
バイト中の短い休憩時間で
食事を終わらせなければいけないことも
地味に、ツラかった。

そして、お好み焼き屋だから
お酒を飲むお客さんが大半なのですが
酔っ払ったおじさん達に絡まれるのが
鬱陶しくてたまらなかった(笑)

そういう空気感が
楽しい人もいると思うのですが
わたしは、お客さんとは
誠実に丁寧にコミュニケーションするのが
好みなので、合わなかった。

結果、マネージャーと店長は
人として、すごく、好きだったのに
それが、店舗運営には反映されておらず
(店長、あまり店に居なかった(笑))
楽しく働けなくて、ツラいことが多くて
一ヶ月くらいで辞めました。

まかないの、お好み焼き
美味しかったけど。

・・・

専門学校の2年目、進路を
ダンサーとしての就職ではなく
もっと勉強しよう、ということで
ニューヨーク留学を決めて
また、時間と体力に余裕が出来て
ちょっぴりバイトをしようかな、と
始めたのが
地元の、ドーナツ屋さん。
某・有名チェーン店です(*^_^*)

わたしが、コーヒーを
香りだけでなく、味も、好きになる
キッカケになったのが、このバイト。

小学生の頃までは
めちゃくちゃ能天気、お気楽な
飄々とした雰囲気な
わたしだったのですが
中学生になってからは
自分で自分を追い込むクセがついて
常に、どこか、ピリピリと、殺伐として
イライラしていることが多くて。

ニコニコ、愛想よく笑うことが求められる
接客のバイト、出来ないかも?!
と、ちょっと、不安に思っていたのですが
そのドーナツ屋さんは、昔から好きで
ドーナツも好きだったから
やってみたら、意外にも、ニコニコ笑えて
あと、お客さんも、ドーナツを選んでいる時
ウキウキ楽しそうにしている人が多くて
そんな様子を見ていると
こちらも自然に笑顔になれて
楽しい気分に。

環境、人間関係も、とても、良かった。

でも、それは、わたし視点の話。

社員さんの一人は
周囲の他のスタッフから
とても厳しい態度を向けられていて
ツラそうにしていました。

誰にでも同じ顔、誰にでも同じ態度
誰から見ても同じ印象、イメージ
って、有り得ないです。

なぜなら、その世界を視ている
その世界の中心に居る人物が
違うから。

目の前の他人は
自分の思考の投影なので
自分が自分を責めていると
他人からも責められるし
自分が自分を大切にしていると
他人からも大切に扱われます。

これは、めっちゃいっぱい
実験して結果を体験しました。

店舗に関しては
頻繁に、新商品が出ることは
わくわく楽しかったし
今、振り返ると、企画・アイデアも
おもしろかった。

休憩の時に、焼き立てのドーナツが
食べられるのは最高だった!!
そして、ドーナツとコーヒーの
ペアリング、マリアージュから
コーヒー美味しい♡・・・となり

不快な点が、ホント、無かったな。

ニューヨーク留学、という
区切りで、退職したけれど
それが無ければ、長く続けていたかも。

・・・

その次は、一年の留学を終えて
帰国後、東京で。

本業をダンサーと決めて
当面の生活費を稼ぐためにと
始めたのが、新宿靖国通りの
歌舞伎町の入り口にある
カフェ。
(某・有名チェーン☆)

夕方から夜時間帯は
ダンスの稽古、リハーサルがあるので
バイトは、朝番(6時~15時)勤務。

これまでの、バイト経験の中で
最も勤続期間が長いのが
この仕事で、2年と半年。

このバイトでは
コーヒーを淹れるバリスタ業務から
サンドイッチを作ったり
その調理の仕込み
お客さんの接客・配膳が
主な仕事だったのですが
店長と仲良くなったのもあり
新人教育、発注業務、シフト管理・・・
店長代理として、店舗運営を
任されるまでに。

この仕事で、わたしは、
働き方、店舗運営、客足予測、
上司部下・仲間との関係性の築き方、
新人教育、等々、本当にたくさんのこと
バイトで経験できる全ての事柄を
学べた、経験できた、と
感じてます(*^_^*)

その後、いろんな仕事に就きましたが
すべて、ここでの経験が活きて
ここでの経験が、素晴らしい
マニュアルになって
こなしていくことが出来ました。

めちゃくちゃに
心揺れる、動く体験も多くあって
人との関わり方、生き方、
在り方に至るまでの、学びがあって
本当に、濃厚・濃密な時間でした。

わたしは、ダンサーになる!という
熱意が異常に強くて
そのせいで視野が狭くて
それしかないから!と
追い込んでいたのですが

ある時、常連のお客さんに
「あなたの淹れるカフェラテが
 ものすごく美味しい」と
キラキラした笑顔で言われて
わたしは、衝撃を受けた。

えっ・・・??
そんなハズはない、と。

なんでや(笑)

一生懸命、丁寧に、淹れていたけど
自分の淹れるコーヒーが
美味しいだなんて、考えたことも
思ったこともなく
お客さんに、そんな風に言われて
面食らったのです。

でも、そのお客さんは
わたしに感想を伝えてからは
毎日、如実に、ワクワクを放ちながら
レジに並んでいて
プレッシャーが凄かった(笑)

すると、その後、別のお客さんにも
「あなたのカフェラテが美味しい」と
言われて

あれっ?
わたし、ダンスだけじゃない・・・?
と、思うようになり。

そりゃそうなのに
ホント、視野狭過ぎ、必死過ぎ(笑)
(今もか?(笑))

この出来事があってから
ダンス以外に、自分に出来ること
やりたいことを、考えるようになりました。

このバイトでの話だけで
何本も記事が書けるので
また、おいおい(*^_^*)

・・・

ものすごく、気に入っていたバイト
仕事では、あったのですが
「このままじゃいけない」という直感が
2年経ったくらいから、あって
その予感は、正しいもので
遂に、辞めるキッカケ、タイミングが来て
退職。

そこで、
ダンサー一本になるのかと思いきや
このカフェのバイトの期間中に
ダンサーとしての仕事に
やりがいを見失っていて
自分のやりたいことを仕事にしたいけど
誰かに求められる仕事をしたい
そして、もっと、稼ぎたい!
等々、色々と、考えて

どうすれば
エンタメで稼げるんだろう
エンタメでお金が回せるんだろう

ということが、最大の疑問、謎で
その答えを見つけるべく、奔走。

カフェのバイトを辞めた後、先ず

「経営者になればいいんだ!」と思いつき
某・お菓子メーカーの営業の仕事をスタート。
ゆくゆくは、独立する算段だったのですが
仕事が、辛過ぎる上に、完全歩合制により
収入が風前の灯火になり
勤務続行不可能になり、離職。

人生初の営業の仕事は
辛いことだらけだったけれど
とてもいい、社会見学、会社見学に。

飛び込み営業で
渡された地図の範囲にある企業に
片っ端からアプローチしていくスタイルで
拒絶されることが多かったのですが
優しく迎えてもらったり
関係ない話題で話し込んだり
それまで出逢ったことのないような
職種、年齢、立場の人と
出逢い、話す機会になったのは
よかったなぁ、と。

それと、その営業の仕事の
社長が、ONE PIECE好きの同志で
業務時間が終わった後に
ONE PIECEトークで盛り上がったり
新巻が発売した日には
もう読んだから、と譲ってもらったり
ツラ過ぎて、仕事に行けなくなり
辞めます、と伝えた時も
やさしく応じてくださり
イヤなこと、悪いこと、
だけじゃなかった。

ONE PIECEの力、絆が、すごい?(笑)

営業の仕事を断念した後は

イベント派遣スタッフに数社、登録し
その内の一社は、
アシスタントディレクターとして
イベントの運営の深部に関わる業務も。

さすが、東京という場所。
イベント会場も、イベント頻度も企業も
盛りだくさん。
イベント、と言っても
いろんな種類のものがあり
毎回、今日は、どんなかな?と
楽しみに、向かってました。

毎回、違う場所で
毎回、違う仕事内容で
瞬発力、判断力、状況把握、臨機応変、
今ここ!で立ち回る仕事環境は
ドキドキ、ドタバタしたけれど
わたしにとっては
ワクワク、血沸き肉躍る、という感じ(笑)

どんなイベントで仕事をしたかというと

東京ドームシティでのガンダム展
六本木TOHOシネマズでの試写会
東京ドームでのポケモンスタンプラリー
企業向けの商品紹介の物産展
西洋医学・病院・手術の報告会
パチンコの新台お披露目会
自動車メーカーの新車お披露目会
文房具メーカーの表彰式・懇親会
化粧品メーカーのお得意様向け販売会
企業の勉強会での教材販売
イベント準備の搬入時の宅配便受け取り
子どもの相撲大会
よさこい舞踊大会
お笑いライブ
読者モデルの撮影会
ハロウィンパレードで仮装
ティッシュ・ビラ配り

・・・今、パッと、思い出せるのが
こんな感じですかね。

こんな仕事・イベントもあるの?!
なんていうものも、あったし

このイベント仕事で
大好きな三味線奏者の上妻宏光さんに
お逢いすることが出来て感動したり

映画の試写会の仕事では
中島美嘉さん、ミラジョボビッチさんに
お逢いして、呆気に取られたり

イベント派遣スタッフ同士は
一期一会でもあるけれど
毎回、どんなイベントでも逢うね?!
という、縁のある人もいて
顔見知り、友達が出来て、楽しかった♪

そして、たまに
イベントで配られる
お弁当が豪華だったりすると
超テンションが上がった(笑)

イベント派遣スタッフの仕事は
全国各地、どこでもあると思いますが
東京以外のエリアでは
なかなか、おもしろ仕事には
遭遇しにくいかも、と思います。

楽しかったし、登録制、申告制で
スケジュールが自由で良かったのですが
月毎の収入が少なかったので
やっぱり、どこかに就職して
がっつり働いて稼ごう、となり

東京・有楽町にある
東宝が運営するシアター・クリエという
劇場の案内係に就職。

単に、お客様を案内したり
チケットを切ったり、販売したりする
優雅なお仕事かと思いきや、なんと
ほぼ、SP?でした。

インカムで、常に
スタッフ同士、やり取り、連携し
お客さんの動きから、公演の進行
出演者の動向をチェックし続ける
とんでもない激務でした。

今でこそ、NEWSが大好きで
ジャニーズのアーティストに関して
それなりに知っていることも多いですが
当時は、全く、知らない状態で
ジャニーズ主催の公演が何度もあり
その都度、アーティストの顔と名前
ジャニーさんの顔も分からなくて
苦労しました。

なんとなんと、大好きNEWSの
まっすーが、一度、
公演を見に来ていたのを覚えていて
当時のわたしは、ふーん、でしたが
今のわたしからすると
ひーーー!!・・・です(笑)

多分、本当は、通常は
”劇場案内係”の仕事は
お客さんの対応だと思うのですが
わたしの就いていた仕事には
公演の進行に関する重要な任務も多々あり
「これ、ADの仕事やん!制作側の仕事やん!」
と、ひやひやしてました。

わたしは、
自分を追い込む周波数を発していたからか
激務の仕事を引き当てるのが得意でした(笑)

のほほん、のんびりと
仕事をしていた時期が、ない。

職場が変わっても
常に、瞬発力、判断力が求められ
臨機応変に状況に対応する仕事ばかり。
脳、フル回転。

それが、そのハラハラが
心地よかったりも、したのですがね。

でも、なんというか、
当時は、ちょっとマヒしてる感じ。

今は、それなりに
のんびり、マイペースでやりたいです(笑)

劇場案内係の仕事は
激務でありながらも、楽しく
スタッフ同士も仲良しなのは
良かったのですが
直属の女上司が、嫌いでした。

その職場を離れてから
彼女のことを冷静に見て
劇場運営に対する情熱が
行き過ぎたゆえの
あの態度だったのだな、と
理解できるのですが
その渦中では、嫌だ!キライだ!と
反旗を翻してました。

スタッフに、
過度のストレスと緊張を与え続ける態度が
特に、イヤで。
自分もそれを受けて、しんどいのですが
周りの大好きな仲間が
それを受けているのを、見るのもツラく。

商売は、お客様ファースト
と、思いがちだけれど

わたしは
先ず、第一に、経営者の理想があって
次に、手伝ってくれる仲間の歓びがあって
それがあるから
お客さんに、歓んでもらえる
ステキなものが届けられる
と、思うのです。

経営者、スタッフの段階で
すっ転んでいたら
お客さんに喜んでもらえるもの
買ってもらえるもの
売れるものなんて
提供できるわけないじゃない。

そのエネルギーの流れの
根本、始まりは

経営者・発案者の、夢と理想。

その夢と理想が
大切なものであるなら
それを支えてくれる
仲間・スタッフのことも
とても有難くて、大切にしたいと
思うはず。

そんな、あたたかい絆で繋がった
人たちが創り出す、生み出す
商品、サービスは
きっと、あたたかいから
欲しくなる。

大切な夢・理想と
大切な仲間
そして、大切に生み出されたものを
手に取ってくれる、大切なお客様。

順番と、段階があるから
いきなり、お客様ファースト!にして
そこばかり追求すると
・・・破滅するね(笑)

なんてことを
わたしは、転職を繰り返して
いろんな企業、働く人とお客さんを
観察しながら、考えてました(*^_^*)

・・・

劇場案内係の仕事は
上司に従うのがイヤで退職を決め

次に選んだのが
銀座のレストランのホールスタッフ。

テレビの有名プロデューサーが
オーナーの、野菜を売りにした
ビュッフェレストラン。

都内に数店舗、レストランはあるけれど
ビュッフェ形式は、初の試みということで
そのオープニングメンバーに加わり
開業までの準備から
バタバタと仕事をしました。

初形態の店舗なのに
ホール社員たちが、飲食未経験者ばかり
という、謎過ぎる状況の中で
わたしは一応、経験者。
バイトでの契約だったのに
接客マニュアル作りを打診され
ええ?!・・・でした(笑)

イチからの店創りに関われたのは
おもしろかった、楽しかったけど
企画段階から、関わったとしたら
給料少ないわ(笑)

手作り、ぬくもりを
感じられる雰囲気にしたいから、と
絵が得意なわたしに、またもや打診、
メニューやPOPを手作りすることになり
イラストレーター、デザイナーな仕事も
担当しました。

それ、通常のホール業務をしながらです。
電話で予約受付をしたり
お客さんを案内したり
お客さんの目の前でキノコを収穫して
鍋に投入するパフォーマンスをしたり
料理を運んだり、商品の販売をしたり
お野菜のランキングイベントをしたり
何役するねん、と思いながらも
自分の持っている、色んな能力を
あれこれ駆使しながら、工夫しながら
仕事をするのは、楽しかったです。

毎日、売上げ目標があり
どうやって達成するのか考えて動く
というのも、初めての体験で
自分のアイデアで売り上げが上がると
すごく嬉しかった。

何より、使っている食材が良くて
料理長の腕とセンスも素晴らしくて
ランチタイムとディナータイムの間の
休憩時間、スタッフみんなで一斉に
最後の晩餐みたいにテーブルを囲んで
わいわい食べる、まかないが
ほんッッッとうに
美味しくて、楽しかった(*^_^*)

やっぱり激務(笑)ながらも
楽しく仕事を続けていたのですが
二つの事件が起きました。

一つは、東北の大震災。
もう一つは、母に子宮頸癌の発覚。

このことをキッカケに退職し
暫し、母親の闘病生活サポートに
専念することになりました。

母親との闘病生活でのことも
ずっと、書きたいと思っているのですが
3年分のエピソードがあるので
また、いずれ。

・・・

野菜のレストランを退職後
1年は、母親の闘病生活サポートに
専念していたのですが
エンタメに対する
夢と願望も、持ち続けていたので
母親のサポートの傍ら
吉本興業への入社を目指し
よしもとクリエイティブカレッジという
制作スタッフの養成スクールに通い
卒業後、大阪の「なんばグランド花月」に
就職が決まり
母は、未だ闘病生活を続けていましたが
仕事を再開することに。

ここからは
劇場制作という激務と
母親の闘病生活サポートという激務の
二重苦、スタート!!(笑)

いや、笑えない、ツラさ(泣)

大阪生まれ&育ちだから、だけでは
ないと思いますが
子どもの頃から、お笑いは大好きで
土日は、漫才番組や新喜劇を
熱心に観てました。

特に、オール阪神巨人さんの
軽快でリズミカルなしゃべり技に
子どもながら、圧倒されていて
自分も、めちゃくちゃおしゃべりで
まくしたてるけれど
阪神さん、スゴイなぁ!って
尊敬の眼差しで(笑)

新喜劇の、笑いの”てんどん”も
心地良くて、好きだった。
わたしが観ていた時期の演目は
「なんじゃそら三人組」

石田靖さんが、メイン・回しで
トミーズさん、吉田ヒロさん、
内場さん、めだかさん、やすえさん、
藤井隆さん、山田花子さん、辻本さん、
・・・今では、ベテラン、師匠クラスですが
当時から、凄かった、と
今なら、解る。

子どもの頃、なんとなく観ていた
新喜劇の出演メンバーは、皆様
才能が突出していて
そんな人たちが出演する作品に
笑いの感性を育てられたのは
よかったなぁ、と思う(*^_^*)

ダンサーになると決めてからは
お笑いからは、少し遠のいていたけれど
M-1グランプリが始まってからは
また、お笑い文化の虜に。
情熱的に、若き漫才師たちの戦いを
追いかけるようになり
なんばグランド花月に就職が決まり
業界の内側の人になってからは
全力でサポートしたい!と、奮闘。

立場としては
アシスタントプロデューサー?でしたが
新人は、あらゆる仕事を振られる。

舞台演目に出演して欲しい芸人さんの
スケジュール抑え・交渉をしたり
イベント当日の芸人さんのアテンドやケア
楽屋の確保も、なかなかタイヘンで
芸人さんよりも
ヨシモトの社員さん達との
コミュニケーションの方が
しんどかった(笑)

わたしが新人だから、とか
わたしが担当している芸人さんも若手だからと
無理難題を強いてくる人が
結構、いたり
イライラしてる人、焦燥しきってる人が多くて
笑いの現場の裏は
なんてサツバツとしてるんだろう、と
おったまげました。

思いましたよ。

演じる芸人さんたちも
支える運営の人たちも
企画するクリエイターさんたちも
みんな、楽しくて、
笑っていられる現場になったらいいのに
・・・って。

わたしが居た時は
どこかで、誰かが、泣いていたり
苦しんでいるのを、いつも見ていて
こう書くと、夢が無い場所だと
思われるかもしれないけれど
そうじゃなくて
創っているもの、生み出されたものは
本当に、素晴らしかった。
大爆笑、大歓声で震える、劇場内の
空間のバイブレーションは凄まじくて
これは、病気を治してしまうレベルだな
という実感もあった。

わたしが入社していた時期は
吉本興業100周年の
特別なアニバーサリーイヤーで
吉本百年物語という、演劇作品が
年間を通して上演されていて
それを通して
お笑いとヨシモトの歴史を知る
機会に恵まれて

”笑い”の力が
世界に希望を与えて
未来を支えてきたことを知って
自分が、その歴史・文化に関わり
力添えが出来ていることに
誇りが持てた。

すごいのですよ、笑いの力。

笑いで、空腹を満たせるわけじゃない
けれど、
人が、本当の意味で、生きられなくなるのは
明日/未来に、希望を見出せなくなった時
笑えなくなった時。

死んだように、生きていたって
幸せは感じられなくて
結局、死にたくなる。

体だけじゃなく
心が、死んだら、人生が死ぬ。

絶望することは、わるくないし
悲しむことも、苦しむことも
死にたくなることも
人生のワンシーンで、そこから
自分の望んだ場所へ行くための
分岐点の一つ。

感じてはダメな感情なんて無いから

気がすむまで
泣いたり、怒ったり、
ジタバタして、感情を消化・昇華する
プロセスは必要。

けど、ひとしきり、それをした後で
立ち上がらせてくれる
キッカケ・出逢いも、必要で。

笑いは、そのキッカケになりうる
特別な魔法の一つ。
(笑い、以外にも魔法はあります☆)

だから、わたしは、
お笑い文化に
関わる人、情熱を注ぐ人に対して
無尽蔵のリスペクトを持ってます(*^_^*)

わたしも、泣くほど仕事が辛かった時
NON STYLEさんのDVDを観て
心から笑える気分・状態じゃなかったけど
ぱぁっと明るい、あたたかいエネルギーで
心とメンタルを保ってました。

もちろん、そんな特別な魔法は
お笑いだけじゃなくて
いろんな分野、いろんな手法があって
その人の好きなものに紐づいたものが
一番、その人の心を震わせて
生き返らせる魔法になる☆

自分にとっての
”蘇りの魔法”が何なのか解っていると
人生の分岐点での乗り越えが
スムーズになるね(*^_^*)♪

あれ?仕事の話じゃないな?(笑)

2008年のM-1グランプリで
NON STYLE石田さんの
漫才をしている時の無邪気な笑顔と
優勝した時の素直な号泣を見た時から
大好きで

実際に、お逢い出来て
お仕事のサポートが出来て
めちゃくちゃ嬉しかった。

そして、わたし、
企画制作スタッフだったのに
懇親会で、ダンサー経験から踊らされて
それを見たプロデューサーに
”ダンスの人”という認識を持たれ
ダンス練習のサポートや
舞台作品のダンス振付を
任されるようになり
好きなことだけど
通常業務が減るわけじゃなく
業務過多(笑)

でえええーーーっっ?!て思ってたけど
ダンスの振付師としての方が
芸人さんとの距離が近くなって
仲良くなれたりして
自分の創ったダンスを
劇場の後方から、授業参観のように
鑑賞した時は、ものすごく、嬉しかった。

そして、舞台を創ることが好きだけど
どんな風に関わりたいのか、と言えば
出演者として作品の中に立つ、もしくは、
振付のように作品を乗せる形で
関わりたいんだ、と気づいた。

その後、わたしのダンス振付作品を
たまたま居合わせた
石田さんに観てもらうことが出来て
「かっこよかった!」と言って頂き
感無量。

石田さんは
舞台の主演・演出・脚本もしているので
この先の未来のどこかで
石田さんの作品に出演・共演
もしくは、振付師として参加したいな
というのは、願い事(*^_^*)

なんばグランド花月での
お仕事エピソードも分厚いので
ここでは、このくらいにして
また、おいおい。

もうすでに、お仕事経歴ダイジェスト
じゃなくなってる(笑)

舞台の裏方としての就職は
学ぶことが多くて
知りたいことも知ることが出来て
収穫は、盛だくさん、だったけど

やっぱり、終わりが来た。

もう、ここまでだな、という直感。

表舞台に立ちたい
舞台に作品を乗せたい
・・・という願望に気づいてから
裏方業務は、違和感だらけで
それでも続けていたら
上司は、わたしのことを
とても評価してくださり
辞めづらくなっていたタイミングで
母の病状が急激に悪化。

表向きは、母が危篤(事実)で
看病に専念するために、退職

わたしの本音は
舞台を裏側から支えるのではなく
表に立って、パフォーマンスしたい
自分のビジョンを、作品で表現したい
・・・だから、退職。

自分の本音も、表向きの理由も
叶えることが出来る、退職でした。

・・・

ヨシモトを辞めてから
一年間は、仕事には就かず
ひたすら、母に寄り添い続けました。

完治を目指して、奔走して
最後の最期まで、諦めずに闘って
けれど、2014年の初夏
母は、他界しました。

わたしは、その時、
母の死を受け入れることが
出来なかった。拒絶した。

居なくなってしまったことを
実感したら
心が壊れて、自分がぐちゃぐちゃに
なってしまうと思って
とてつもなく大きな悲しみの感情に
ムリヤリ、蓋をしてしまった。

けれど、ヒリヒリと、ズキズキと
悲しくて、苦しくて
その傷心に、見て見ぬふりをする為に
全国各地に、旅に出ました。

その旅の中で
愛知県岡崎市の吉村医院の
助産師さんと出逢い

”妊婦さんのための歌に
ダンスの振付けをして欲しい”

という、依頼を受けたのです。

自然分娩ができる心と体作りの為の
安産三原則の歌:吉村節、に。

母の病気と死を通して
散々、女性性や、女性の幸せ
女性の生き方について
考えて、考えて、悩んでいて
母の死と共に、そういったことから
離れると思っていたら
ガッシリ、ぐいっと
「女性のしあわせ」というテーマに
引き戻されました。

”幸せなお産”について話を聞いたり
吉村先生の著書を何冊も読んだり
妊婦さんの心・体・マインド作りの
ワークに参加させてもらったりして

わたしは、安産三原則の歌に
振付けをして
先ず、助産師さん、医院のスタッフさん達と
一緒に踊ってみると
みなさん、とても、楽しそうで
晴れやかな顔をしていて
嬉しい感想をたくさん頂いて
久しぶりに、愛、ぬくもり、感謝で
満たされて
わたしの、今、生きている意味
みたいなものを、直感的に感じ取りました。

”振付師になりたい”と思っていたけれど
この仕事、出来事を通して
振付師と言っても
一般的な型にハマらない
ちょっと、特殊なタイプ??
つくづくフツーじゃないなぁ、と
感心(笑)

わたしは、どんな音楽でも
聴けば、踊りやビジョンが浮かぶのです。

だから、音楽を聴くと
踊りたい衝動と
絵を描きたい衝動で
ぐわーーーッ!!ってなる(笑)

音楽の好みはあるけれど
自分に差し出される楽曲なら
どんなジャンルでもウェルカム(^^♪

音楽にダンスを振付する作業は
巫女の神事のようだな、と感じる。

舞踊は、言葉ではないけれど
メッセージを伝える
思いを伝えるものだと感じるから。

ハワイのフラダンスは
踊りの動きが、言葉の意味も
持っているから、まさに◎

わたしは、言葉が好きだから
言葉で伝えることが好きで
得意だけれど

そうではない人も多くいて
それでも伝えたい思い
感じたい思いはあるから
そんな人には、踊りという方法で
思い、メッセージのやり取りが
出来たらステキだなぁ、と思う(*^_^*)

自分のやりたいこと
自分にしか出来ないことを
仕事にしたい

振付けの仕事を受けて
そんな思いを強く持ちました。

その後、ヨシモトで仲の良かった
社員さんに依頼を頂いて
なんばグランド花月での
公演の幕間や前座のダンスの振付け
劇場前でのイベントのダンス振付け
等々を、引き受けました。

ダンスの振付けをしたい、という
願いは持ちつつ
「女性のしあわせ」「しあわせな生き方」
について、ずっと、考え続ける
答えを探し求める日々が続いて

巡り合ったのが
「月と女性の関係」
「占星術で読み解く個性・才能・体質」
でした。

そして、そのメソッドを学び
「月よみ師🄬」の資格を取得。

人生を、楽しむために
人生を、幸せに生きるために

もう、目の前で
大好きな人が苦しむ姿を見たくない
大切な人を失いたくないから

自分の心と体に鞭を打って
自分の本望に背いて生きることを
辞めたいから

月よみ師、という看板を立てて

月読み才能鑑定書
月読みセッション
月読み講座

等々のメニューを
リリースしました。

そして、月を扱うのなら
より、自然に近い場所で暮らしたいと思い
高知県に移住を決意。

住まいを
自然の恵み豊かな高知に移し
太平洋に昇る月を眺めたりしながら
月読みの仕事に没頭しました。

月の出

高知では、月読みの仕事だけでなく

アウトドアショップのモンベル
個人経営のイタリアンレストラン
ひろめ市場のBAR
カフェ&レストランの土佐力舎
写真撮影のスタジオアリス
・・・で、アルバイトをしました。

土地のエネルギーや、風土を知る上で
その土地に根差すお店で働くのは
すごくいい機会なのですが

わたしには、そもそも
雇用というスタイル含め
”誰かの作った城”で働くことが
向いておらず
体調を崩して、退職する
---を、繰り返していました。

高知で暮らして1年ほど経った
蠍座の月の頃、突然のひらめきで
「京都へ」と引っ越しを決め
即、実行。

京都に引っ越してからは
月よみ師の仕事をしつつ
海外観光客向けゲストハウス
女性下着メーカーの社内カフェで
アルバイトをしました。
(↑↑↑雇用に懲りてない/笑)

ゲストハウスに関しては
体調不良(死にかけました)を機に
社内カフェに関しては
コロナ禍による閉店を機に、離職。

その後、数社からオファーを頂き
その中の一社に所属して
オンラインでの占い師業務をスタート。

そして、今(2021年)に至ります。

オンラインの占い屋さんのお仕事も
もりだくさんの学びと
ステキなご縁がありましたが
年内12月での離職を決めました。

というのも、体調不良になるから。
(またか(笑))

体は、正直、まさに、です。

何が正しいのか?
どっちに進めばいいのか?
何を信じればいいのか?

その答えは、すべて、体に有り。

便秘になる仕事
呼吸が浅くなる仕事
・・・天職のはずがない(*^_^*)

これから先のことは
今、選んで、決めて
歩みを進めているので
ここには
ここまでしか、書けないのですが

これからのお仕事物語が
ワクワク楽しいお話になったらいいな。

体調不良で辞めました、ではなく(笑)

楽し過ぎて、どうしよう!
みたいな、話を書きたい。

今、一つ、思い描いているのは
「自由に好きなことを書く仕事がしたい」
です(*^_^*)

そして、少し前から浮かんでいるのは
「学校を創りたい」です。

この夢については
また、別の記事で☆

MEGUMIのお仕事ヒストリー
やっぱり、しっかり長くなりました。

それぞれの仕事での
語りたい話は、まだまだあります。
それも、また、別の記事で。
(書きたいこと、渋滞中。)

ここまでお読み頂き
ありがとうございます◎

MEGUMI FUSHA


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就職に関して、思うことがあります。

競争率が高い仕事でも
面接の時から、これは受かるな
という、感覚があり。

その仕事に、受かる、受からない
というのは、一見
自分の能力・立場に関係ある
ように見えるけれど

縁、なのです。

それは、相手にとって必要かどうか
ではなく

自分にとって、その時、必要かどうか。

その仕事に就くということは
そこで、出逢う人が居ます。
そこで、経験することがあります。

その出逢いと経験が
その人に必要なものであれば
その人が本当に求めるものであれば
ご縁は繋がります。(採用されます)

たくさん面接を受けて
不採用が続くと
自信が無くなっていくかと思いますが
自分がダメなんじゃない
自分の能力が低いとかじゃない
「今、ここじゃないよ」というだけなのです。

だから、
一旦、落ち込んでも
その後に、
自分が本当は何を望んでいるのかを
何度でも、尋ねて
選び直し続けてみてください。

失敗した~、間違えた~、となっても
それも、大切な、必要なプロセス。

行動して、飛び込んだ自分に
あたたかい拍手を(*^_^*)

選び直した先で
本当に欲しかった体験が
待っているから☆


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占星術で
すべてが解るわけじゃない。

けれど
何も分からなくなっていたり
明日に希望を見出せない時は

月星の読み解きが
導き、灯火に、なることがあります。

メッセージを受け取ることも
出来ます。

迷い、悩みの渦中から
抜け出して
宇宙の視点で、自分自身と人生を
見つめてみたい、と思うのであれば
月読みSoulセッションで☆


読んで頂きありがとうございます😊🙏 わたしは、世界の色んな土地を旅しながら言葉を拾い集めて、愛Love,信頼Faith,命Liveを表現Creationしたいと願っています🌸いつかの自分、そして、あなたに、癒しと解放が起こりますように🌄 応援よろしくお願いします😌💖