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社会不適合者の観察日記【学校編】

昨日、ふと

最近、自撮りしてないな

と、思って、撮ってみた。

ものすごく、気楽に。

そしたら、いっこ、気づいたのが

写真を撮る → 笑わなければいけない

という、方程式。

いやいやいや

よく考えたら、これ、不自然よね?!

その時の、気分で、写っちゃだめかい?

昨日は

ぐるぐる悩んでるタイミングだったから

なんだか、にっこりする気になれず

むしろ、ふてくされ気味で撮ったら

あれ、なんか、気が抜けてて、いいかも

って、思った。

昨日は、インスタライブで

今までの自分の転職ライフついて

ちょっとしゃべった。

【ちょっと、と言っても1時間(笑)】

そして、その後に

自分の仕事論について、書いた。

相当な、数、アルバイト、してきた。

だから

会社の仕組みとか

運営のマニュアルとか

ずっと、末端の位置から、観察して

そして、考察してた。

店長にはなったことないけど

店長代理はやってたし

アルバイトとして就いても

何故かいつも、店長に気に入ってもらい

運営について、あれこれ

アイデア出しをしてた。

店長になれば、いいじゃん。

正社員になれば、いいじゃん。

思った、思ったよ。

でも・・・

それは、出来なかった。

なんせ

☆社会不適合者☆なので( ゚Д゚)


幼少期は、自由に

やりたい放題やって

生きていたけれど

中学生になって

勉強に興味を持って

英語が好きになって

全力でやってみたら

クラスで一番になってしまった。

学年で常に5位以内。

もちろん、成果が出る、結果が出るって

ものすごく、嬉しかったけど

一気に、周囲の目は

わたし=優等生

これが、悲劇のはじまりだった。

わたし、そんなん違う!!・・・と

心も体も悲鳴を上げるようになった。

中学生の間

ずっと、好成績をキープし

ホンモノの秀才たちに目を付けられ

テストが終わると

違うクラスの子まで

「何点だった?」と、聞いてくる始末。

そんなだから

勉強、するしかなくて、頑張るしかなくて

もう、なんか、重かった。

空気が、体感が、心が。

しんどかったのに

テストで結果が出るから

自分でも、「わたしは優等生、エリート」

みたいに、勘違いするようになって。

それが、自分、みたいに

思うようになった。

でも、わたしは、その時

演劇が大好きで、ダンスが大好きで

芸能界に入りたいと思ってた。

アニメ、マンガが大好きで

ずっと、描いてた。

中学卒業後は、劇団に入りたい、と

お母さんに言ったら

せめて、高校には行ってくれ

と、言われた。

クラスで一番成績の良い生徒が

高校進学しない、とか

親も、先生も、笑えるわな(笑)

なんでッ?!ってなるわな。

いや、そもそも

”勉強”という作業に、興味が湧いて

勉強してみただけで

やる時は、何でも本気だから

それで、たまたま、結果が出ただけで

進学するためじゃなかったもん。

幼い頃から

わたしは、世間的少数派だったけど

そこを、極めることはせず

中学を卒業して、結局、高校に進学した。

高校に進学したら

もう、勉強には興味が無くなっていて

というか、中学生の時

めちゃくちゃ本気で勉強しまくったから

それで、やり切ってしまって

1ミリも後悔無く

これ以上、やりたいとも思わずで

でも、中学の時の成績で

高校に進学するわけだから

好成績の人達が集まる、進学校に入学。

その結果

中学で、力尽きたわたしは

高校では、悲惨な成績を叩き出しまくってた。

高校生では、劣等生。

授業も、ツマらなくて、眠くてたまらんかったし。

唯一、国語、古典だけは

夢中になって、勉強した。

学問として面白かったのもあるし

先生に、恋してたから・・・( *´艸`)


今、思えば

先生に恋してなかったら

わたし、高校を不登校したかもしらん。

小学校も

中学校も

高校も

普通に、他のたくさんの生徒と同様

ちゃんと通学してたけど

よく考えたら

わたしが、自分の本質通りで生きてたら

不登校生まっしぐら、だったように思う。

そうならなかったのは

自分は、優等生、という思い込みと

母親からの圧力。

あの、学校独特の風習が、ずっと

嫌いだった。

つねに、誰かと一緒にいなければ

友達がいなければ、いけない

みたいな、空気。

一人でいるのは、ヘンなやつ

みたいな、空気。

だから、学校に居ると

ムリヤリ、友達を作らなければいけない感じ。

大人になって思うけど

友達って

必要に迫られて、なるもんじゃなくて

好き!って思って

楽しい!って思って

なるもんでしょう?

何歳になっても

友達は、できるのに

学生時代は、”強制”感がすごい。

誰かと友達になりなさい!みたいなね。

勉強も

中学、高校、大学・・・

進学するためだけに、やらされてる感じ。

進学するための勉強ってなに?

そもそも、進学したい学校が無かったら?

これも、大人になって思うけど

勉強は、学びたくて、知りたくて

するもんでしょう?

進学するため、って

その学校に、めちゃくちゃ行きたかったら

楽しく勉強できるかもしらんけど

進学したい学校も無いのに

進学するために勉強しないさい、って

地獄かよ。

学校というものが

創立された当初は、きっと

希望と、歓びが、あったと思う。

知識が増えるのは楽しい

知らなかったことを知れるのはおもしろい

わたしは、そう思う。

でも、それは

意志が、伴ってこそでしょう?

学びたい人が、学ぶ。

だから、その学びには、血が通い

学ぶ人を幸せにする。

だから

学校に行けないこと、そのものは

不幸ではないし

学校に行きたくない、と思うことも

何にもおかしくない。

学校に行かなければいけない

の、中身を、ちゃんと説明できる

先生、大人は、多くないんじゃなかろうか。

わたしは、義務教育をきっちり通って

高校にも通って

”普通”を観察できたことは

よかったと思う。

今更、別に、誰も恨まないけど

もし、学校に行かずに

自分の願い、意志を道しるべに進んでいたら

今、どうなってるかな、とは、思う。

もともとの

学校という場所の意味と

勉強する意味が

完全に、崩落している状態では

そりゃ、誰でも、学校行きたくないさ。

わたしは、当時

”学校に行かない”という選択肢が

存在することを、知らなかったし

自分は、優等生で

社会に適合して生きていけると

思っていた。

その”勘違い”のおかげで

ずいぶん、しんどかったよね。

というか、現在進行形で、しんどい。

高校を卒業して、わたしは

やっと、強制勉強から解放されて

ダンスを学ぶために専門学校に入った。

その時も、かなり、母親とバトルした。

高校進学の時は

”せめて、高校には行ってくれ”だったのに

いざ、卒業のタイミングになると

”せめて、大学には行ってくれ”と言い出した。

おいおいおい。

さらに、母親は

”大学に進学するためにお金を貯めていた”

”専門学校に行かせるためじゃない”

と、言い出した(笑)

そんなん、初耳だったし

正直、知らんがな、だった。

これ、わたしが、ワガママ?

お母さんが、ワガママ?

【お母さんは、我が母ですがね】

【そういうことじゃない】

結局、戦って、戦って、初めて、勝利し

ダンスの専門学校に行けることになった。

それで、めでたし、めでたし・・・

ならよかったけど、そうはいかなかった。

沁みついた、優等生の仮面は

今に至るまで、枷でしかない。

自分が、社会不適合者だと

自覚するまでに、長い長い年月が、掛かった。

このお話、少々過激だったかな・・・?

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