江戸時代の宴会には個人用の箸がない場合があった?

久しぶりに江戸東京博物館に行ってきました。リニューアル後では初めてやったんですが、展示内容が少しずつ変わっていましたね。

特別展の「サムライ」も観てきましたが、その中の「久留米藩士 江戸勤番長屋絵巻」を見て「あれ?」と立ち止まって考えてしまうことがありました。この絵巻物は、名前の通り久留米藩の江戸勤番(参勤交代で江戸にやってきた久留米藩の藩士)の生活の様子を描いたものです。とても楽しい絵が多く、当時の江戸勤めの武士たちが人生を楽しんでる様子がよく伝わる絵巻物です。

今回の展示ではその絵巻物の中の宴会の場面が展示されていたんですが、その宴会の中に「個人用の箸」が見当たらないことに疑問を感じました。例えばこの羅漢回しをやっている宴会の絵(ちなみに、羅漢回しとは現代でいうところの山手線ゲームのようなものです)。

この絵の真ん中には料理を取るためのお箸は描かれていますが、個人用の箸、さらには個人用の皿も描かれていません。一方、盃はしっかり描かれていますし、なんとなく誰の盃かが分かります。また、絵の真ん中の料理の隣には盃洗も描かれています。盃洗というのは、盃をススグための道具です。当時の宴会では盃を共有する風習があり、一度使った盃を盃洗ですすいでいました。

この絵の左隣の絵は、どんちゃん騒ぎの絵ですが、ここには散乱する箸が描かれていて、取り分け用の箸ではなく個人用の箸にみえます。また、個人用の皿もあるようにみえます。ということは宴会で個人用の箸を用意することは当然あったわけです。

では、なんで「羅漢回しの絵」には個人用の箸が描かれていないんでしょう?

「単純に箸を省略して描いた」という可能性はあるかと思います。が、どんちゃん騒ぎの絵には箸が描かれていますし、この「羅漢回しの絵」ではしっかり盃が描かれているのに、わざわざ個人用の箸や皿を省略するのも不自然な感じがします。

もしかすると、宴会のスタイルのよっては個人用の箸ではなく、箸も共有したんでしょうか?これも少し不自然な気がします。というのも、日本は銘々膳の習慣や個人用の食具を持ちやすい文化(パパのお茶碗、ママのコップのように食具は個人用にされやすいです)なので、箸という最も口に接するものが共有されるのは、ちょっと難しい気もします。さきほど盃を共有すると書きましたが、共有する場合は盃洗のように一度綺麗にするということが前提になっているわけで、単純な共有はしていないんです。

自分の無知をさらしていて、恥ずかしいのですが、なんでここに個人用の箸が描かれていないのか分かりません。今度、知り合いの先生方に聞いてみたいなっと思います。


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