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読書がくれるもの② 考えること 哲学

ティーポットです。ゴールデンウィーク前半、皆様いかがお過ごしでしょうか?

読書がくれるものは?

読書がくれるものと題して、3つ目の記事です。読書がくれるもの、それは考える材料です。そもそも「考える」こと自体、AIではなく、人間しかできないことであるはずです。

それは判断には必ず「感情」が入るからです。

ではそれをトロッコ問題を考えてみましょう。

トロッコ問題とは?

これは道徳の授業などでよく例に挙げられる問題です。

あなたは暴走するトロッコに乗っています。線路の先には5人の作業者がいて、このまま走れば5人の作業者の命に関わります。

ところが、その5人の作業者の手前に別の路線が分かれており、あなたは路線切り替え機によって1回だけ、別の路線に切り替えることができます。

しかし、路線を切り替えた先には1人の作業員がいます。路線を切り替えるとこの1人の作業員の命に関わります。

さて、あなたなら5人と1人の命、どちらを取りますか?

功利主義と義務論

話が難しくなってしまいますが、より多くの人を助けるとして、1人を犠牲にして5人を助ける、とした場合は功利主義、誰かの代わりに誰かが犠牲になるべきでない、として、路線を切り替えないとした時には義務論的倫理観の立場となります。

この結論は人によって異なる回答があり、数学のように正解が出る結論は出ません。私は義務論的立場の結論として、路線を切り替えないを選択しました。

AIにできない人としての判断

正解はないにしても、人としてそれぞれの判断は私たちには下せます。例えば、原爆を京都に落とさず、代わりに広島に落とす、という歴史的判断を「正しい」と結論づけることはできるでしょうか?

第二次世界大戦を終結させるという命題の元には正しくても、それで広島市民が犠牲になるということに正解はあったでしょうか?

影響度合いの多寡から見てジャッジする、としたら、広島と選択するかもしれません。それはAIにその条件を付け加えればその選択をしそうです。

しかし、そもそも原爆を投下することに正解があったでしょうか?

そこに共感はないと言えるのは人間だけではないでしょうか?

そこには人として考えることが重要だということが挙げられます。

人として考える

人間は社会の中で生き、身体を持っています。感情的な痛みや身体的な痛み、共感ができます。文化や歴史的背景というものも持っています。

なので、「考える」となった時に、トロッコ問題で出現する(5人か1人か)ファクターだけを筋道だててロジカルに考えればいいだけではないのです。

そこには人間としての感情や身体性、全身の神経系を含む脳の機能、歴史的な教訓などなどを複合的に含みながら考え、「判断」する必要があるのです。

そんなわけで読書はその「判断」の素になるものをくれます。

だから、人はAIがいかに発達したとしても、「判断」するために考えることが必要になります。そのためにも「考える」きっかけをくれる読書が必要になります。

AIの時代、必要な情報と調べ物はAIがやってくれます。そこから複合的に判断する「人間」であるためには、「考えること」を学問とした哲学を人はもっと知っておくことが必要ですし、それは読書をして鍛えるしかありません。

そんなわけで連休に哲学はいかがですか?

トロッコ問題をはじめとしていろいろな考える素材が書かれているのが以下の書籍です。(例によってわかりやすくリンクを出します。)

哲学者が息子と対話する形式で噛み砕いて哲学を教えてくれる入門書です。500ページ以上ありましてなかなか手強いのですが、面白く読める読み物です。

連休のひととき、ゆっくりコーヒーでも淹れながらいかがでしょうか?前出のトロッコ問題のほか、いろいろなテーマが書かれています。

ではみなさま、引き続きゴールデンウィークをお楽しみください。

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