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技術的問題と適応課題の切り分けをしないと組織状態は良くならない

はじめに(いつも書いてること)

このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。

※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。

今回の内容

個人のラクを追求する上で、『他者と働く』という本は、非常に重要な本だと思っています。

なので、そこに書かれていることを、少しだけ紹介するnoteを書いていきます。

『他者と働く』に書かれている『技術的問題』と『適応課題』について。

この2つを捉えながら組織と向き合っていかないと、うまく組織を整えられないと感じています。

ハーバード・ケネディ・スクールで25年間リーダーシップ論の教鞭をとり、「最も影響を受けた授業」に選ばれ続け、IBM、マイクロソフト、マッキンゼー、世界銀行などのアドバイザーも務めるロナルド・ハイフェッツ。
彼は、既存の方法で解決できる問題のことを「技術的問題」(technical problem)、既存の方法で一般的に解決ができない複雑で困難な問題のことを「適応課題」(adaptive challenge)と定義しました。

技術的問題と適応課題について。

これだけ知識や技術があふれている世の中ですから、技術的問題は、多少のリソースがあれば、なんとかできることがほとんどです。
つまり、私たちの社会が抱えたままこじらせている問題の多くは、「適応課題」であるということです。
見えない問題、向き合うのが難しい問題、技術で一方的に解決ができない問題である「適応課題」をいかに解くか。それが、本書でお伝えする「対話」です。

『他者と働く』の『はじめに』から抜粋

組織開発をメインの役割としていた時、日々変化する組織状況について、とても頭を悩ませていました。

個人的には良い悩みだと思っていましたが、なかなか厄介な悩みだという見方もしていました。

そこで立ち返ったのが、『他者と働く』でした。

『技術的問題』と『適応課題』に分けて考えていくと、やるべきことが浮き彫りになるのかもしれないと思って、改めて読んでみたんです。

結果的に、「やっぱりこれだな」という感覚を掴めました。

『技術的問題』と『適応課題』については、この記事に非常にわかりやすくまとめられていました。

ぜひ読んでいただきたい。

ビジネスで課題に直面したときにやりがちなのが、「適応課題の見落とし」です。
実際、ハイフェッツ教授は、直面している問題が「適応を要する」にも関わらず、「技術的な問題」として扱ってしまうことが失敗を生むと語っています。
例えば、次の2つの事例は、適応課題を技術的問題として扱ってしまったケースです。
・サービスの付加価値を高めようと機能の拡充を図ったが、それを扱えるエンジニアが足りなくなってしまった。
・働き方改革を推進するためにテレワークを導入したが、メンバーのエンゲージメントが低下した。
職場など組織での人間関係の問題は、いろいろな要因が絡み合って生じており、「適応課題」が含まれているケースも少なくありません。
既存のアプローチを試みるだけでなく、「本当の問題は何か?」と隠れた適応課題にも目を向けてみるのがポイントです。
また、特定の課題において、必ずしも適応課題と技術的問題のどちらかに完全に分類できるとは限りません。

上記の図のように、適応課題と技術的問題の比重は事例によって変わってくるので、注意が必要です。
「組織課題は“仕組み”を変えれば解決できるはず」なんて技術的問題と決めつけて問題に対処していると、なかなか改善されずに時間と体力を消耗して終わることになりかねません。
「良い人間関係を作れていないのも問題では?」と適応課題にも目を向けて、異なる視点で解決策を探るようにしましょう。

以下の具体的な事例が、とてもわかりやすかった。

事例①:ナレッジの課題感に隠れていた「自己認識力」(Aさん)

◆最初の問題意識
自分に総務領域にナレッジがない事が問題だ(技術的問題)
→自分は営業から異動したため、営業系の経歴が長く、労務・総務領域のナレッジを持っていない。総務基礎知識の習得や、資格等へのチャレンジも必要ではないか。

◆本質的問題(再定義)
現状の状況分析ができておらず、かつ他のメンバーを巻き込めていないことが問題だ(適応課題)
→『ナレッジがない』ということに関して、何が必要で何が足りないのかなどが具体化出来ていないため、行動に移せていない。まずはそれを明確にする必要があり、そのうえで、組織として向き合うことが重要ではないかという結論に至った。

自身が抱える問題を、自分だけで完結させるのではなくて、周りを巻き込んで解決していこうと視点が変わっています。

働いていると感じることですが、1人で完結する問題なんていうのはそこまで大きな問題ではなく、誰かとの関係性の中で生まれる問題や課題こそボトルネックになっていることが多いです。

上述されている内容でもありますが、本当は『適応課題』と向き合わないといけないのに、『技術的問題』として処理されようとすると、本質的な解決に至りません。

これは本当に危険なこと。

問題提起する人や、課題設定をするタイミングで「適応課題かもしれない」という投げ掛けをしなければいけません。

そして、マネージャーやリーダーがこの視点を持っていないと、部下が「適応課題に目を向けませんか?」と言っても潰されてしまう可能性すらある(部下の声がどれだけ通るかによりますが)。

マネージャーとかリーダーの研修で『技術的問題』と『適応課題』を扱うことって、とても大切かもしれない・・・そう思うようになりました。

『鶏と卵の話』と一緒で、どっちが先かという話ではなく、どっちも大切なんだと思うんです。

「技術的問題だけでなく適応課題も解決しないと」という視点が少しでもあれば、「働く人同士の関係性」に目が行き、「対話の必要性・重要性」に気づくはず。

「働くのは機械じゃなくて人間である」ということを肝に銘じて、『働く』を捉えないといけない。

これって技術的問題かな?
それとも適応課題かな?

組織の中で、チームの中で、個人としても、この問いを立て続けていきましょう。

悲惨なのは、上述したように、適応課題なのに技術的問題だと捉えて扱うこと。

解決策が全く異なりますし、型にハマったやり方で解決しようとするのが技術的問題なので、関係性の中で生まれる適応課題には合わない解決策ですよね。

クライアント様の課題解決も一緒かなと思ったんです。

「こういう問題や課題があるから、こういう解決策がある」って決め打ちで関わっていることが多い気がします。

でも、人と人との関係性の中で生まれる適応課題を抱えているクライアント様が多いのかもしれないと思った時に、解決策の提案が変わってくるなと思ったんです。

技術的問題と捉えるか、適応課題として捉えるか。

それは、個人としてのスタンスもあるかもしれませんが、組織としての文化やポリシーが浸透しているかというのも重要になってきます。

技術的問題だと捉えてしまうと、解決策の型をはめ込もうとして、対話を生むことなくトップダウンで終了することもある。

一方で、適応課題だと判断すれば、そこに対話が生まれます。

人によって判断は異なると思いますし、何の土俵に立って「それは問題だ、課題だ」と言ってるかによるので、「これは技術的問題だ」とか「これは適応課題だ」という判断は、その事象の詳細を知ることなく一概に決めることできません。

一般常識として「それは問題だ、課題だ」と判断するのではなく(「そもそも一般常識ってなに?」という広い話になってしまうから)、「うちの会社ではこういうことを大切にしているから、これは問題です、課題があります」という話になることが、組織としては健全なんだと思います。

何を良しとして、何を良しとしないか。

組織の文化に立ち返り、そういう議論が生まれていけば、組織としていろんなことが良い方向に向かっていくはず。

感謝

今回も、読んでいただきありがとうございました。


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