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食材と生贄と食育と

Netflixで大人気となった韓国ドラマ「梨泰院クラス」が、日本版にリメイクされ「六本木クラス」として放送されている。基本となるストーリーは同じだが、舞台が日本と韓国なので微妙な違いがあり見比べてみると非常に面白い。

物語の前半、主人公の宿敵となる親子の父親が息子に「(食材となる)鶏の首を折れ!」と迫るシーンがある。このシーンは韓国版でも日本版でも「できない!」と泣きじゃくる息子に「やれ!!!」と父親が怒鳴りちらす非常に狂気に満ちた演出がされている。

たしかに、日本でも韓国でも最近の若者は屠殺を体験する機会は非常に少ない。近年では「食育」として自分たちのクラスで育てた「豚」を食べるか?食べないか?という授業が話題になったこともあった。しかし、その授業とて自分たちでは屠殺はしない。(もちろん法律上の問題もあると思うが…)

日本・韓国だけでなく、欧米を含めた多くの国で「自分の手で命を奪う行為は忌避の対象であり、許されない行為」という認識が一般的ではないだろうか?

一方で、イスラム圏では1年に1度「犠牲祭」という行事では必ず屠殺を目にすることになる。「屠殺ができて一人前」という価値観の地域も少なくない。犠牲際の由来は預言者イブラヒム(アブラハム)が神の命令に従って、息子を生贄(いけにえ)にささげようとしたところ、天使が現れて制止し、息子の代わりとなる羊を与えたという話から、犠牲祭には羊を生贄として神に捧げるようになった。(羊だけでなく牛やラクダを捧げる場合もある)

数年前、私が実際に屠殺を目にした時は、その非日常的な光景に血の気が引き、倒れそうになった。頸動脈に刃物を入れ絶命させてから皮を剥ぎ、開腹し臓器を取り出す。そうして捌かれた肉を、その場で食べる。少し前まで生きていた羊の肉を、屠殺される瞬間を目撃している羊の肉を食した経験は今でも鮮明に覚えている。

もちろん、子どもに屠殺シーンを見せることには賛否両論あると思う。だが、現実では見せたくても見せられないのが現実だ。もし、屠殺シーンを見たいと思ったら犠牲祭に捧げられる生贄を意味する下記のアラビア語をコピーしてYouTubeで検索してみて欲しい。もちろん「残酷」というキーワードなしでは語れないかもしれないが、それ以上に新たな価値観を得られるはずだ!

أضحية



text by Nasser

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