周知なのかどうかは知りませんがザード様は明らかに特異です
例えば中学のとき同級生から「なんでクラスに居る障害者の子を一緒にいじめないの? おかしいよね?」などの言葉を投げかけられています
相当理不尽な暴力を受けていたという話なのですが、当然ながらその結果として私は全く空気を読まない人間になってしまいました
言うまでもなくこれはトラウマ障害の一症状として解釈されるのですが、じゃあ「空気を読んで」「障害者差別に加担し」みんなと「楽しく」過ごすべきだったのかと言うと答えは明らかにNOです
この記事でとりあえず問題にしたいのは大学の指導教官です
彼は教授職なんですが、なんと私に「お前は変だからもっと普通にしろ」と連呼してくる割に彼の言う普通とやらは植松聖死刑囚の凶行も止められないような「普通」らしい
「俺は普通の人間だから弱い。植松聖なんて止められない」と言われたとき多分電話じゃなかったらぶん殴ってた。お前散々人に「空気を読め」と連呼しながらそこは空気読んで「植松は良くないことをした」とか言わないのかよと
話は多少こじれるが私が普通にできないもう一つの理由にも触れておきます。それはずばり私が吃音症だからです。私がどんなに「普通」にしても「何言ってるのかわからない」「もっと普通に聞き取れる言葉で話せ」と言い返されたらそこで終わりなのです。つまり、私は「普通」に言葉も話せず、世間一般の普通概念の中には言語障害者への差別それ自体が含意されているのです
例えば差別している人に「差別は良くない」と私が発言した場合、「何を言っているのかわからない」と言い返された場合もはやどっちの意味なのかわかりません
また、私の大学の指導教官は「先生の時代はランダウをロシア語で読んでいた人もいたそうですね」と話題を振ると
「どうしてそういうセンシティブな事を言うのかなあ」
とか言ってくる割に山本義隆の名前を出すだけでブチ切れ始めるなど、お前の言う「普通」とは一体何だと言いたくなる場面が多々ありました
そもそも私は前述の経緯から相当重症なのですがそういった被害について話そうとすると
「差別についての話題はセンシティブだから公の場では控えてもっと空気を読んでやるべき」
と言い出すなど今にして思い返すと相当に問題のある人物でした。なんと彼の世界の「普通」ではそれだと結果的に差別への消極的加担になってしまうと気づいていない
また、この教授は私が吃音のためうまく話せないで苦しんでいると「君は自分の都合しか考えていない」などと言ってきた。その他、差別の被害者が差別やめろと訴えるのもこの教授の弁によると「差別をやめろという言明は差別する側の都合を考えていない=中立的ではない=普通ではない。君は自分の都合しか考えていない」となるらしい
はっきり言ってしまうが「差別の話題はセンシティブだから公の場でするべきではない」などと言い出すのは差別について議論することすらマジョリティの側が封殺するものであり、直球の差別行為に該当する。それもかなり苛烈なレベルである
なおこの教授は自分のやったことが差別だとは微塵も思っていないそうである。理由はかなりわかりやすくこんな感じである:
「差別する側の意見も差別される側の意見も聞いた」→中立的であり論理的である
「差別される側の都合だけで判断するのはバランス感覚に欠ける」→中立的であり論理的である
「差別についての議論は空気を悪くする行為なので普通はしない」→常識的に基づく自然な発想
なんかだんだん書いていて吐き気がしてきたのでやめることにした。ともかく大学教授がこのような邪悪な人物であるというケースもあるというエビデンスはどこかに残す必要がある
以下はこんなんでも教授職だった私の大学の指導教官とのメールのやりとりの転載です。上記の指導教官の言動のエビデンスとして載せるだけのものであり、これによって彼を批判する意図はありません。批判することで彼が「普通の人間」をやめるなら多少は意味があるのでしょうが…
以下のメールですがこの文脈だと私の指導教官の主張は「1930年代のドイツでも空気を読め」の意味になってしまいます。私がただ単にトラウマ障害で普通にできていないだけなのを読み取れない「普通」とはただの差別意識であることの告発であるとともに、「お前は変だから普通にしろ」を「ナチスを支持しないのなんて変だ。一緒にヒトラーを支持しよう」という凄まじい文脈の言葉をその真意を隠して発言していた人物を私は許す気はない
念のためですが、私が一番許せないのは日本において「空気を読め」という言葉を「1930年代のドイツでも空気を読め」「障害者なんて迷惑なんだから仲間として一緒に攻撃しよう」の意味で発言している人物があまりにも多すぎることの方です。この指導教官一人ぶちのめすだけなら出て言って討論すれば済む話なんですが、それでこの国の普遍的な差別構造が直るわけでもない
つまりただ単に大学教授という最高レベルの知能ですらこのレベルの場合もあるというのは強烈なエビデンスなのでまずは書いているだけです
なお以下は以前別記事に書いたのと同内容です
メール1通目:ザード@→指導教官
このメールに1日待っても返事がなかったので、大学に電話して直接会話した。その際にXX教授は「自分は君の言う通り『普通の人』なんだから植松聖被告を止めることなんて出来る訳がないじゃないか」などと言い出す
上のメール本文にもある通り私は吃音症である。つまり、植松聖被告のロジックの上では私は処分の対象である。そのような人物に向かって、当該の教授は「私は植松聖被告を止められない」などと常識的な判断に基づく"普通の受け答え"をしている
これを踏まえた上での私から指導教官への2通目のメールがこちら
メール2通目:ザード@→指導教官
このメールの後、XX教授からやっとメールで返事が来るのだが、その内容が本当にすごい。この教授、とんでもないたぬきだった
メール3通目:指導教官→ザード@
この教授はこちらの言っている内容に一言も答えていない! 差別やパワハラを受けたという被害者からの訴えに全く誠意ある対応をしていない!
仕方ないのでこのやり取りを私のカウンセラーに見せたところ、当然ながら「この教授とんでもねえな。年寄りをいじめるなしか言ってない」という見解をいただいたので、その旨を記載してこのたぬきに再度メールした
メール4通目:ザード@→指導教官
メール3通目でのXX教授の宣言通り、これ以降メールに返事は来ていない。しかしこの教授ちょっと浅薄過ぎやしないか