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わたしってヤングケアラー?

最近「ヤングケアラー」という言葉を目にする機会が増えました。
皆さんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

ヤングケアラーは、多くの場合「支援」や「対策」などいう単語と結び付けられます。

今回は、当事者である私が、「ヤングケアラー」に対する世の中の風潮に対して感じていることを書こうと思います。


ヤングケアラーとは

厚生労働省の資料によると、

「ヤングケアラー」とは、本来大人が担うとされている家事や家族の世話などを日常的に行っているこどものこと。責任や負担の重さにより、学業や友人関係に影響が出てしまうことがある。

令和5年度 こども家庭庁 支援局 虐待防止対策課

と説明されています。

18歳未満の子供が、
病気や障害を持つ家族の身の回りの世話をすること。
依存症の家族の精神的、経済的支援をすること。
日本語が第一言語でない家族のために通訳をすること。
幼い兄弟の面倒を見ること。
このどれもが、ヤングケアラーにあてはまるそうです。

家族の世話や責任から、進路や就職、健康面と感情面、友人関係などにおいて様々な影響が生じているといわれています。

かく言う私も、ヤングケアラーなのです。

私の家族

私の母は、車いすユーザーです。
徐々に下半身の筋力が衰えていっていますが、原因や病名は不明のままです。
物心ついたころは、健常者と同様に普通に歩行していましたが、私が成長するにつれ、どんどん足が動かなくなっていっています。

母方の祖母と叔父と同居していたため、一人で母の世話をするということはありませんでしたが、それぞれ仕事や予定があるため、学校を休んで隣町の病院まで付き添ったり、生活の細かなサポートをしていました。

当時は「ヤングケアラー」などという言葉は、存在しておらず、(存在していたかもしれないけど、日常的に見聞きしたり、世間の関心を集めるものではなかった)
自分が現在でいう「ヤングケアラー」であり、「支援」や「対策」の対象であるとはつゆとも知りませんでした。


わたしってヤングケアラーなの?


最初にこの言葉を目にしたときも、現在も、自分ヤングケアラーであったということに違和感を感じています。

ヤングケアラーという言葉に結び付けられている悲壮なイメージと、自身のかつての生活は異なるものであったからです。

学校を休んで母につきそって病院に行く事は、私にとっては楽しみなイベントで、母と出かけられる特別な日でした。
みんなが学校に行っている中休んでいることに、こども特有の優越感を感じてすらいました。

大学へ進路選択の際は、金銭面やサポートが必要な親と離れることに対し、受験勉強以上に頭を悩ませ残される家族に後ろめたさを感じていましたが、これはヤングケアラーだから大変だったということとは違うような気がします。

進路や進学等の人生に関わるような決定をしなくてはならない局面では、多かれ少なかれ誰でも家族の問題に向き合っていると思っています。

わたしも大変だった。みんな大変な時期だった。そんな感じです。

ヤングケアラーに対して今思っていること


わたしが現在、大学に通えているのは、周りからの多くのサポートのおかげであると思っています。

奨学金や特別障がい者手当などのハード面の支援はもちろん、心の支えになっていた父方の祖母や、3者面談を自宅で行ってくれた先生など、ソフト面のサポートもあったと思います。

悩みの多い学生時代でしたが、それはヤングケアラーであったからなような気も、そうでない気もします。
大変といえば大変でしたが、世の中みんな苦労していますよね。笑

わたしがヤングケアラーという言葉に違和感を覚えるのは、障害を持つ母との生活が、自分にとっては当たり前で、日常で、かわいそうなものではなかったからです。

かといって、その他多くのヤングケアラーが、自身と同じように感じているとは思っていません。
本当に頼れる人がいなくて、だれからも見向きもされず、孤立しているこどもは大勢いると思います。

わたしは、「ヤングケアラー」という言葉ができたことで、グラデーションが存在している個々のケースがいっしょくたにされてしまうことを懸念しています。

同じ状況にみえても、人が違えば、環境が違えば、場所が違えば全く異なることがおきます。それに応じて必要なサポートも異なります。

わたしたちの存在に世間の注目が集まるようになり、解決に向かおうとしていることは喜ばしいことですが、家各庭の様々な問題を「ヤングケアラー」という言葉でひとくくりにしてしまうことに、”危なさ”を感じざるを得ないのです


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