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アイデンティティはどこ?と感じたときにやるべきこと

自分の考えや脳内にある思いを形にする作業、
つまり自分のスタンスや世界に対してのポジションを問い続け、示し続けることをストップしてしまうと随意的な生き方ができてないって不安になる。

毎日何かしらの考えていることのアウトプットをしてきて、自分の生き方なる軸のようなものを明確にしてきてきた。

正確に言うと、軸を形成している進行形。buildよりbuilding

毎日生きて、自分一人ではない外の世界と知らない情報と関わり触れることで軸がどんどん太くなっていく感じだが、その軸をたまに意識できない時がある。それはアウトプットを止めた時だ。このnoteを書かなくなったことも然り。不安は軸を忘れたときにくる。

もし、人から何か質問をされて答えるとする。その回答はコピペじゃない限り僕の世界へ対する姿勢から捻出された考え(世界への見方)である。

もう少し抽象度を上げると僕という人間の証明だと思う。
だから自分の想いの回答もアウトプットになるし、僕はどう考えているのかってことの確認にもなる。

でも常に質問責めになることはないし、世の中はこうあるべきだ!なんて回答をするラジオの質問コーナー並の機会はそうそう無い。(あるのならその環境に行きたい)無いなら自問することも一つの手段。

自分が何者であるか分からなくても、やっていきたいことを持たなくてもどうにかなる世の中なんだけど、SNSやなんやらの発達で個人っていう存在が世界において強さを増している。それが良いとか悪いとかで考えたら、多様な価値観や個性を持ったみんなが世界を彩ってくれるから良いことだと思う。

だから僕はこんな人類(人間)であるのだ!って個人を強調・宣言できるこのチャンスを真面目に大切にする。

あなたはどう思っている?のクエスチョンがなくても、自分の意見や生き方を話す答える場面がなくても、自分の世界に対する生きる姿勢を1秒たりとも忘れたく無い。自問自答することで姿勢は磨かれることと同時に確認や考えるきっかけになる。

このnoteを書くこともその自問自答になる。
そのためにもnoteという場を大切にしたいし、
僕がnoteをやる一つの理由でもある。

僕の言葉で、想いで、見方で、外に証明し続ける。

以上です!
お疲れした!!

SSSAAASSSAAAKKKIII

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