セッション

我々のような音楽屋の側で観ていない人は居ないであろう映画がこの「セッション」だ。
音楽をメインテーマにした映画は数あれど、音楽屋の誰もが一度は夢に見た「最高の音楽を目指す」ということの過酷さを描いた作品はそうは無い。
もっと言うならば、音楽に限らずとも芸能の世界の全てがここに帰結する、圧倒的なまでの才能と環境と努力の壁が描かれている作品だ。

主人公アンドリューが個人練習をしているところから物語は始まる。
設定としてもそれなりの難易度であろう音大ということもあるし、この時点でも素人目にはかなりの腕前に聴こえる。
その練習の様子が厳しいことで有名なフレッチャーの耳に止まり少し嬉しそうにするが、なんとも冷めた対応をされ、より一層の練習に励むようになる。
念願叶ってフレッチャーのバンドに迎えられ、ガールフレンドとも良い雰囲気になるが、フレッチャーの指導は過酷を極め、心身ともに極限へと追い込まれていく――。

僕は学生の頃からバンド音楽に触れてきていて、マトモに参加できなかったものの軽音部やその類の部活・サークルの様子を見てきた。
それなりの人数がいたし、ビックリするぐらい上手い人もそこそこいるのだが、彼らの多くが音楽を辞める。
それは当然ながら誰しも音楽に全てを費やす気などなく、色恋に就職、他の趣味への興味のある推移と要因は様々だ。
それは例え音大に行くほどの人でもそうなのてはないかと思っていて、ガールフレンドとの時間も欲しいしこんな暴力的な人の指導を受けるなんて普通は真平御免となるだろう。
この状況を逆に打ち破ってやろうという狂気と執念が「全てを費やす」ということで、その後の涙ぐましい努力と練習はあくまでその副産物だと思っている。
努力できることが才能だ、という人をたまに見かけるが、それは違う。
そこまでの努力ができるものを若い内に見つけられた運と、そこまでの努力ができる環境を持って生まれたという前提に過ぎない。
努力はあくまで手段でしかない。

劇中では悪役のフレッチャーだが、むしろ最高の音楽を追い求めるという一点に置いてはアンドリュー以上の純粋さがある。
芸能の道を進もうという人は何よりもまずあの純粋さを見習うべきだろう。
その中で自分の求める場所がその頂点までではなく、代わりに少し広い8合目であったり、もっと広く5合目であったりということはままある。
僕自身も音楽を趣味以上のものとしてはいるが、極めるという頂点から見ればそこまで費やすものではなく、5合目だろう。
その自分の居たいところを見つけてから、そこに要求されるものは何かを考えて努力するというアンドリューの真摯さを見習えば良い。

作曲をするワケでなくバンド活動をするワケでもなく、部活やサークルで人気アーティストの曲をちょっとコピーして……というような1合目で十分ならば、要求される努力水準は低いし、その分 味わえる音楽の楽しさも少ないが、コスパとしては良い具合。
そこまでの人が一般人の領域なので、フレッチャーの指導やアンドリューの努力を理解できないと思うし、「こんな暴力やパワハラする先生は酷い」だとか「事故っても演奏するとかバカじゃないの?」みたいな的外れな評価をされてしまう。
それが僕にはとても悲しくて、少なくとも僕と同じくらい以上の音楽屋にとってフレッチャーもアンドリューも最高にカッコいい音楽屋に見えていることを祈る。

作品の内容にばかり触れてきたが、キャッチコピーにもある通り、ラストの演奏シーンは音楽屋は勿論、映画ファンも絶対に目を離さず耳を傾け全身で味わってほしい。
僕の好きな言葉に、ドビュッシーが言ったらしい「言葉が足りなくなったとき、音楽が始まる」という言葉がある。
それに相応しく音楽がこの作品の全てを語り、アンドリューとフレッチャーの捻くれに捻くれた純粋な想いに、胸が高鳴る最高のフィナーレだ。

因みに円盤には映画のデモ版のようなものが特典で収録されている。
有名なシンバル投げシーンは既に構想にあったんだなといった感じで、逆にこちらだけ観たならばフレッチャーは暴力クソ講師で同感しただろう。

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