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「言語化」

本来はTwitterで断片的に独り言としてつぶやいたことなのだけれど、自分でもすとん、と腑に落ちたような気がしたからnoteにも残しておくことにした。


noteのアカウントを作って文章を書くようになる数日前まで、私の言葉の置き場は、Twitterの鍵垢か、自分の携帯のメモか、の2択だった。

自分の中で何かしらの気持ちが溢れるとき、その気持ちを文字にしたい、文章にしたい、と常日頃から思っていたが、実行する勇気がなかった。
自分には書けないだろう。と思っていた。同時に、言語化することで、私の中でとめどなく溢れる気持ちや考えに意味的な制限がついてしまう、と怖かった。言葉にしたら、その言葉の意味だけに私の気持ちは定義づけられてしまう。そんな気がする。そうやって、いつの間にかこの気持ちを忘れてしまったら。とても、怖い。



昨日の夕方の帰り道、電車に揺られながら、ふと思った。

気持ちのレールを組み立てて、1つの大きな道を作ることが言語化なのかな、と。

イメージはプラレールのおもちゃみたいな。

レールの中には、上手く繋がるパーツと繋がらないパーツがある。それを選んで組み立てて、でもそこで選ばれなかったパーツは不必要なパーツであるわけではなくて、また別のレールに成ったりして。

そうして出来上がった道が、必ずしも綺麗な道じゃなくたっていい。どんなに急なカーブがあっても、逆にとんでもないくらいどストレートであったとしても、距離が長くても、短くても。

その言葉を読み返して、またそのレールを辿って、自分の道に自信を持つことができたら、時には誰かが一緒に歩いてくれたりしたら、

言葉として残す意味を見出せるんじゃないか、なんて思った。


本当は、意味を見出すものではないのかもしれないけれど、とにかく、今の私には言語化する勇気がほしかったのかもしれない。

言葉にすることで、改めて自分の気持ちに気づくことも沢山ある。気持ちや感情が、形作られていくように。私はこう思うから、これがこんなに好きなんだな。自分ってこんな考え持ってたんだな。言葉にすることで気づかされる。


だからきっと私は、私が思う以上に、言葉が好きなのだと思う。



[ 네가 편히 걸을 수 있도록 ]
[ 君が気楽に歩けるように ]

내 작은 발자국들이 쌓이면
언젠가 단단한 길이 만들어질 거야

僕の小さな足跡が重なれば
いつかしっかりとした道ができる

『 SEVENTEEN : HIT THE ROAD EP.1  WOOZI 』

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