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誰かの温もりを探して


 遠くに聞こえる夜祭りの声。夜道に笑う浴衣の男女。
 宮田杏菜は暗い公園のベンチに腰掛けた。一人暮らしの寂寥感。時間だけが失われていく焦燥の中で繰り返される変わらない毎日。
 杏菜は寂しかった。仕事帰りに歩いた祭りの喧騒。数年ぶりの屋台の灯り。誰とも交わらない視線を動かしながら、必死に求めた懐かしさ。
 暗い日常を変えてくれる何かを夜祭りに探した杏菜は、ただ、自分は寂しかったのだという事に気付かされた。
 孤独な心を癒してくれる誰か。乾いていく手を強く握ってくれる誰か。日向の小さな影のように、ふっと消えてしまいそうな体を、ぎゅっと抱き締めてくれる誰か。
 夜の公園に訪れるカップル。ブランコで談笑する二人の固く繋がれた手。杏菜は、自分で自分の乾いた手を握っては離した。恋人のいた事がない彼女は、子供の頃に友達と手を繋いだ記憶を思い出そうとする。少し湿ったような小さく暖かい手のひら。想像の中の自分の手を握る友達。
 カップルが去った後の静寂。一人の公園に吹く風。夜祭りに向かう家族が公園を横切ると、杏菜は導かれるように立ち上がった。小走りに公園を出た彼女は、家族の少し後ろを歩き始める。杏菜の足音に振り返った父親は、彼女を見て僅かに首を傾げるも、特に気にした様子もなく前を向いた。
 息子が笑うと父が笑う。母に手を引かれる娘が伸ばす指の先。兄か弟か、娘に頭を叩かれた息子が抗議の声を上げる。
 杏菜は思わず声を出して笑った。兄妹のいない彼女の思い出す祭りの夜。亡き父の手を握って歩いた夜道。
「こんばんは!」
 杏菜の笑い声に振り返った息子。元気な声を出すと大きく手を振った。
「こ、こんばんは……」
 首筋が熱くなる彼女。咳払いをすると、ニコッと作り笑いをして手を振り返す。
「おばさんも、お祭り?」
「お姉さんでしょ!」
 母と父の手が、ポコンと息子の坊主頭を叩く。ムッと叩かれた頭を撫でる息子。杏菜は慌てて両手を前に振った。
「い、いえいえ、おばさんでいいですよ?」
「ほらぁ」
 勝ち誇った息子の顔。その頭を人差し指でペシリと叩く母。
「お姉さんだぞ? すいませんね、ウチのバカが」
 少し太った、厳格そうな父の笑顔。杏菜よりもひと回り年上の男の笑顔に、自分の父親の顔を重ねてしまった彼女は、頬が赤くなった。
「お姉さんも、お祭り?」
 杏菜の側に寄る息子。その肩を慌てて掴む父。杏菜は少し腰を落とすと微笑んだ。
「うん、そうだよ」
「一人で?」
「う、うん」
「どうして? 彼氏とかいないの?」
「こ、こら!」
 慌てる父。息子をギロリと睨みつける母。
「えー、どうして? 綺麗なのに?」
 娘は首を傾げて杏菜を見上げた。暫しの静寂に、慌てて言葉を探した杏菜は、夜空を見上げた。
「えっと、き、綺麗ではないかな? もう三十二だし、一人だし……」
「そんな、綺麗ですよ! まだまだ、お若いですし」
「そ、そうですか?」
「そうですよ! 私たちの結婚なんて、もっともっと遅かったんですから」
 母のフォローに、苦笑する杏菜。父は息子の背中を強く叩いた。
「はっは、お姉さん独身だとよ! 良かったな、タイチ、プロポーズ出来るぞ!」
 デリカシーの無い父の笑い声。鬼の形相で睨んだ母は、父の腕に爪を立てる。特に気にならなかった杏菜は、息子の顔を覗き込むと微笑んだ。
「プロポーズしたくなったら、いつでも待ってるからね?」
「じゃあ、今する」
「えっ?」
「プロポーズする」
「タイチ、プロポーズって何か分かってんのか?」
「分かんないけど?」
 首を傾げる息子に声を上げて笑う家族。
 杏菜も笑った。その手を握る小さな手。
「早く祭り行こうよ!」
 手のひらの温もりに困惑した杏菜は顔を上げた。微笑んだ母は杏菜に頷く。
「もし宜しかったら、一緒にお祭り行きませんか?」
「え? い、いいんですか?」
「おお、良かったな、タイチ! しっかりアピールしとけよ!」
 夜道に響く父の笑い声。母の手を握る娘。杏菜の手に伝わる小さな温もりが、彼女の体を前に引っ張った。
 子供って可愛いな。
 思わず抱きしめたくなった杏菜は、ぎゅっと目を瞑る。
 家族が、欲しい。
 祈るように唇を噛んだ彼女は、自分を導く温かな手をそっと両手で包んだ。








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