HSPの沼

タイトルはちょっとインパクトが強いかなと思うけれど、それぐらいでちょうど良いのかなとも思う。

最近HSPが特に話題に上るようになり、自分もHSPかもしれないと公表する芸能人の方も増えてきた。

同様にSNS上でも、「自分はHSPだ」と公表される方も増加している。それ自体を良いとも悪いとも思わないが、「公表することはどんな意味を持つのだろう?」「何か救われたような気持ちになるのだろうか?」と公表している人の深層心理は興味深い。

また、私の前職が公務員でとにかく言われたことを言われた通りにこなせば良いという風潮だったのだが、とにかく理詰めで大声で人を罵倒するタイプの人がいて、その人とペアで仕事をさせられそうになった時に、「仕事がしづらくなるのでペアにしないでください」と会議で言ったら、「やりづらいってその根拠は?根拠のないことを言うな。」と怒られたことがある。

だから、「HSPです」なんて言ったところで社会的にそのような人がいると認知されても、仕事上では、「いや、そんなの甘えでしょ。社会人なんだから我慢しろよ」と言われてしまう風潮はまだまだこれからも続くのではないかと思う。けれど、そんな風潮を変えていくべく芸能界の方々も声を上げてくれたり、世論を変えていこうとしていると考えると、サラリーマン(公務員)を自らドロップアウトした自分としては、「時間はかなりかかると思うけれど、精一杯頑張って下さい」と沿道から旗を振るぐらいしかできないのである。



かく言う私も150パーセント「HSP」だ。これを書いている今、1ヶ月フリーランスを始めて稼いだお金を全部突っ込み、飛行機で一人旅に出ているのだが、昨日見知らぬ街のゴミ捨て場にビニール袋にも入れられていない花束が捨てられていて、その背景について小一時間は考えてしまった。


やることは大雑把でガサツで暴走自転車なのだが、心の中は自分でも嫌になるぐらい常に混沌としたものが渦巻いているのである。



タイトルに戻ろう。「HSPの沼」と言うのはこの自分でも嫌になるぐらい考えすぎてしまう自分の思考で、これに一緒になってハマってくれるような人は絶対に相性が合わないのである。つまりHSPの恋人は非HSPがちょうど良いのだ。




私は昔から常に自分の気持ちに共感してくれるような人を求めていたし、「分かってくれるかも」と言う男性を好きになったり、お付き合いしたりしたこともあったが全然うまくいかなかった。


求めているものと自分に合うものは異なる。他人に期待しすぎるから求めた通りのものを与えてくれなくなった時に怒りが生じる。こっちが勝手に期待しただけなのにね。




それでも今でも心のどこかで私の感性を理解してくれる友人を求めている。


※この投稿は私の体験を基にして感じた一介の意見の集約に過ぎないため、違うな、おかしいなと感じられても論争をする気はございません。センシティブな話題に触れていることは重々承知ですが、その旨ご承知おきくださいませ。


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