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川崎フロンターレが強くなった理由を一から勉強

 私がまだ小学生だった頃、初めてJ1に昇格した川崎フロンターレは1年であっさりJ2に降格しました。この時はフロンターレが将来J1を何度も制覇するクラブになるとは正直思っていませんでした。そこから4年間はJ2を戦いの舞台にしていましたが、J1に返り咲いてからはJリーグ屈指の強豪クラブへ変貌を遂げました。かつてはたった1年でのJ2降格を経験したフロンターレが強豪クラブになれた理由について今回は取り上げていきます。

◯2001年〜2004年 J2で過ごした4年間

 フロンターレは1999年にJ2で優勝を果たしてJ1に昇格をしましたが、1年でJ2に降格、その後の4年間をJ2で過ごしました。当時のフロンターレはJリーグで実績を残している外国人選手を獲得して、クラブを強化していたように思います。2001年〜2004年の4年間で他のJリーグクラブから獲得した外国人選手として、コンサドーレ札幌からエメルソン、鹿島アントラーズからアウグスト、アルビレックス新潟からマルクスなどがいます。

 フロンターレが他のJリーグクラブで活躍した外国人選手を多く獲得できた要因として、もちろんフロントの頑張りもあったでしょうが、私は川崎市の立地の良さが大きいと考えています。川崎市は東京23区にも横浜にも近く、川崎市自体も政令指定都市なため、生活を送るには非常に便利な都市です。人口が少ない地方都市をホームタウンにしているクラブも多い中で、立地の良さは選手と交渉をする際の武器になるでしょうし、選手にとっても魅力があると思います。

 しかし、外国人選手は日本人選手以上に移籍のリスクが伴うため、外国人選手が主力のクラブが長期に渡り、強さを維持するのは非常に難しいです。90年代後半〜00年代前半のジュビロ磐田や鹿島アントラーズ、3度のJリーグ王者になった時代のサンフレッチェ広島、そして、2017年以降の川崎フロンターレ、どのクラブも主力選手の多くが日本人選手でした。当時のフロンターレは長期的にクラブを強くするよりも、早くJ1へ昇格することを優先した編成をしていたと思います。

 ただ、この期間にフロンターレである1つの成功体験がありました。それが伊藤宏樹選手の入団です。伊藤選手は2001年シーズンに立命館大学からフロンターレに入団、引退する2013年までフロンターレ一筋で活躍をしました。後にフロンターレは中村憲剛選手、小林悠選手、谷口彰悟選手、三笘薫選手など、大卒の選手が活躍して、優勝にも大きく貢献をしました。当時、有望な選手は高校を卒業してすぐ入団、もしくはユースからそのままトップチームへ昇格するケースが多く、大卒の選手を敬遠するクラブもあったのですが、そこにフロンターレは活路を見出しました。伊藤選手は引退後もクラブのスタッフとしてフロンターレに残りました。大学を卒業した選手が活躍をして、引退後もクラブにスタッフとして残るという事例を作れたことで、大学の有望選手の多くがフロンターレを入団先として選ぶ要因の1つになったと思います。

◯2005年〜2016年 あと一歩でタイトルを逃し続けた12年

 2004年にJ2を圧倒的な強さで制覇して、J1へ再昇格、その後はJ1クラブに定着して、フロンターレは強豪クラブへ変貌を遂げることができました。しかし、フロンターレが初めてタイトルを獲得したのは2017年にJリーグ王者に輝いた時です。

 J1へ再昇格後、2017年のJリーグ制覇までにフロンターレは2度のJリーグ2位、2度のJリーグカップ準優勝、1度の天皇杯準優勝とあと一歩のところでタイトルを逃す時期が続き、「フロンターレはシルバーコレクター」と揶揄されるようになっていました。しかし、初のJリーグ王者に輝いた2017年以降、2023年開幕前の時点でフロンターレはJリーグ制覇4回、Jリーグカップ制覇1回、天皇杯制覇1回、スーパーカップ制覇3回を果たし、シルバーコレクターと揶揄された状況から完全に脱却しました。フロンターレが10年以上もあと一歩でタイトルを逃し続けた状況からJリーグの絶対王者になれた理由を考えていきます。

◯2017年〜2023年現在 外様中心のクラブから生え抜き中心のクラブで黄金時代が到来

 フロンターレが10年以上に渡り、あと一歩でタイトルを逃し続けた状況から絶対王者に変貌できた理由を1つ挙げるならば、外様中心のクラブから生え抜き中心のクラブへモデルチェンジできたことがいちばんの要因だと思います。

 例えば、2009年にフロンターレはJリーグカップで決勝へ進出しましたが、FC東京に敗れて、優勝を逃しました。この試合のスターティングメンバーを見てみると、攻撃の軸になっているジュニーニョとレナチーニョ、ゴールキーパーの川島永嗣選手など、フロンターレの生え抜きではない選手が5人いました。フロンターレはJ1に再昇格した2005年以降、我那覇和樹選手、中村憲剛選手と日本代表に選ばれる生え抜きの選手が増えましたが、外国人選手や他のクラブから移籍してきた選手がクラブの主力を担うケースが多くありました。外国人選手や移籍してきた選手が悪いわけではもちろんありませんが、生え抜きの選手が中心のクラブは選手とクラブが一緒に成長をしていくため、その選手達が育った時に一気に強くなる場合があります。2020年、フロンターレが初めて天皇杯を制した時は谷口彰悟選手、守田英正選手、田中碧選手、三笘薫選手といった2022年のワールドカップ日本代表メンバー、他にも旗手怜央選手や大島僚太選手がスターティングメンバーで出場していました

 2023年現在、フロンターレの優勝に大きく貢献した選手の多くが海外へ活躍の場を移しており、多少は低迷する時期もあるかもしれませんが、有望な選手を獲得するメソッドが定着しているフロンターレの強さは今後も変わらないと思います。

◯フロンターレが今後さらに発展するために

 日本代表やヨーロッパのクラブで活躍する選手を多く輩出しているフロンターレですが、大きな課題だと私が感じたことがあります。それはホームスタジアムについてです。フロンターレがさらに愛されるクラブになるため、強さを維持するためにここは避けてはいけないポイントだと思います。

 フロンターレの本拠地である等々力陸上競技場の収容人数は26827人(
2019年のJリーグ届出)です。2017年以降にJリーグを4度制したクラブのホームスタジアムが30000人を収容できない陸上競技場というのはやはり寂しいです。フロンターレは立地の良さに魅力を感じて入団する選手は多いと思いますが、スタジアムに魅力を感じている選手はあまりいないと思います。コロナ前の2019年のデータになりますが、世界のサッカーリーグで最も平均観客動員数が多いのはドイツ1部のブンデスリーガで平均43302人を動員しています。これは2006年にドイツでワールドカップを開催する際に既存のスタジアムのリニューアルや新スタジアムの建設に取り組んだことが大きいです。一方、かつては世界最高の実力と人気を誇っていたイタリアのセリエAはスタジアムへの投資に消極的だった結果、国内リーグが衰退するだけでなく、代表チームも2大会連続でワールドカップ本大会への出場を逃すことになりました。

 フロンターレもこれまでに何度かホームスタジアムの改修に取り組みましたが、十分なものではなかったと思います。しかし、川崎市は2017年に2030年3月の完了予定で等々力陸上競技場を球技専用スタジアムに改修すること、2022年に東急株式会社を代表企業とするグループが等々力陸上競技場の改修を含む等々力緑地再編整備実施計画を進めることを発表しました。等々力陸上競技場は川崎市が所有しているため、スタジアム問題はどうにもならない部分もあったのですが、ついに念願が叶うことになりました。これはフロンターレが川崎の街に貢献をして、愛される存在になっていることの証だと思います。最後にフロンターレが強くなった理由を3つにまとめます。

①川崎という立地の良さ。

②伊藤宏樹選手をきっかけに大学の有望選手の入団が増えた。

③外様中心のクラブから生え抜き中心のクラブへのモデルチェンジ。


改修後の球技専用スタジアムのイメージ



◯出典
・川崎フロンターレ公式サイト ゲーム記録 2023年5月23日
https://www.frontale.co.jp/goto_game/2023/j_league1/14.html

・川崎フロンターレ公式サイト 選手・スタッフ 2023年5月23日
https://www.frontale.co.jp/profile/2023/index.html

・等々力睦上競技場第2 期整備・ 「整備の基本方針」(案)の策定に ついて 2023年5月23日
https://www.city.kawasaki.jp/170/cmsfiles/contents/0000087/87740/170529-2.pdf

・FOOTBALL ZONE 世界42カ国51リーグ「平均観客動員数ランキング」 1位は独1部、J1、J2の順位は? 2023年5月23日
https://www.football-zone.net/archives/182806

・川崎市 令和4年11月8日 報道発表資料 2023年5月23日
https://www.city.kawasaki.jp/530/cmsfiles/contents/0000144/144843/houdouhappyou_todoroki_221108.pdf

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